エニアグラムの大家であるリソ/ハドソンの著書、The Wisdom of the Enneagramから、精神的なロケットスタートの実践を紹介したことがあります。今回は、これを少し掘り下げて説明します。

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自分がはまっているエゴの罠を見つけるヒントになります。エニアグラムは9タイプに分ける性格の分類法として知られていますが、もともとはスピリチュアルな道を登るための道具です。うまく使用すれば、当たり前として見過ごしているパターンを看破し、リリースすべきものを見つける手助けになります。

エニアグラムを知っており、自分のタイプを見つけている方も自分のタイプだけにこだわらず、9タイプ全てに気づき、意識に引き上げてください。

1.価値を判断し、自分自身と他人を責める - Value-judging, condemning yourself and others

これは「自分自身と他人を判断し、責める」習慣と言い換えたほうが良いかもしれません。

私達が自分や他人を判断するには、何かの基準が必要です。その基準を「価値」と呼んでいます。ですから、判断している時点で、基準となる価値観を使っているわけです。

肝心なのは、自分や他人を「判断」している点、そしてそれにより自他を責める・咎める・非難する点です。この2点が精神的によくありません。

まず、価値観を認識しましょう。自分が自分や他人を責めているとき、何に反しているのでしょう。どんな価値、どんな決まりに違反したのでしょうか?~すべき、~をしてはいけないという、しなくてはいけないルール、してはいけないルールを私たちは膨大に抱えています。それらに自動的に操られている限り、私たちは制限の罠に囚われたままです。

あたり前のことだと意識を無条件に通過させないでください。その当たり前がエゴなのです。自分も他人も、批判する習慣に気づいてください。それも制限です。苦しい制限です。

ヒント:他人に対する攻撃は、たいてい自分自身へ対する同種のネガティブを含んでいます。誰かの不誠実を激しく攻撃する人は、自分自身の不誠実が刺激されています。誰かの無能さを攻撃している人は、自分自身の無能さを恥じています。年齢を攻撃する人は、自分も加齢していくことを恐れています。容姿を攻撃する未熟な人は、自分の容姿のどこかにコンプレックスを抱えています。

2.自分の価値を手放し、他の人に与える - Giving your Value away to others

これは、価値観の押しつけ習慣と言い換えるとわかりやすいかもしれません。

もし、レスター博士が「愛は与えるものである」と言っているじゃないかと反発しているなら、それこそエゴの自己防衛です。

相手が求めているニーズを満たすのではなく、自分が相手の立場であれば欲しいものを与えてしまえば、相手は困惑します。自分の価値観と相手の価値観は違うという、基本的な視点が抜け落ちています。

実際の話し、私はいま公民館でこの文章をタイプしていますが、2年くらい前に隣のロビースペースで談笑していた年齢的におばさん~おばあさんのグループの一人が、「うるさいでしょう。ごめんなさい。これでも食べて」とお菓子とせんべいを持ってきてくれました。ただ、私はイヤフォンをして集中していたし、当時は血糖値を下げることに努力していたので、炭水化物はありがた迷惑でした。私のニーズは、「一人にして。邪魔しないで。集中させて」でした。

本来、こうした優しさを持っている人は、相手のニーズに敏感です。相手が欲していることを察知するのが得意です。ところが、相手に与えることや自分の価値観を重要視し、そこへ固着してしまうと、相手のニーズが見えなくなります。

ときに、相手のためだといいながら、自分の価値観を押し付けます。家族など気の知れた身近な存在に対してこの態度を取れば、相手は気分を害し、反発してくるでしょう。

これも、自分が大切にしている価値観を見つけ出すのが肝心です。しっかりと認識してください。どんな基準もその価値は状況により上下します。いつも、どこでも100%正しく有効な価値観なんて存在しません。しかし、あなたはその価値観を伝家の宝刀、銀の弾丸として利用し、すべてをそれで片付けようと無意識にしています。

見えづらい(あなたが隠して見つからなくなった無意識の)価値観を押し付けていないか認識しましょう。

次に、愛を与えることの誤解を解きましょう。愛は与えるものであるという説明は、なにも物やサービスを相手に与えることが愛であるという意味ではありません。あなたがいて、相手が存在し、あなたが相手を愛するとき、あなたは相手に対し愛を放射しますが、相手が愛を返してくれるかなんて気にしません。究極の一方通行です。

ただし、あなたが相手を愛しているなら、あなたは気分が良いのです。状態は良いのです。誰かを愛するということは、最終的に自分のためになります。世界を愛せたら、究極にハッピーになります。

3.実際の自分でいるよりも、他人でいようとする - Trying to be other than authentically are

本当の自分でいるよりも、他のなにかになろうとする傾向と言い換えられます。

これは特に、理想的なイメージを持っているときに、私達が使う習慣です。小さな女の子が、母親のような「大人の女性」になろうとして、化粧道具で顔をぐちゃぐちゃに汚すという、定番の可愛い状況。あれです。

幼児の化粧なら可愛さがありますが、世の中にはこれにはまってしまって、まわりから痛々しいと思われている人も多いのです。只今、東京都知事選挙運動の真っ只中ですが、この罠に囚われた数多くの候補者が見られます。そもそも承認欲求とコントロール欲求がなければ、立候補はしません。なんちゃって政治家、なんちゃって愛国者、なんちゃって芸能人、なんちゃって正義の人、なんちゃって…の候補者ばかりです。

対して有名でもない芸能人が、一流芸能人ぶったりするのもそうです。身近では大して有能でもないのに、やたら有能ぶる人が会社に一人ぐらいは見かけませんか?

似合わないファッション、身の丈に合わないブランド物を身につける若者、それもこれです。

究極を言えば、本当の自分は本然で、体ではありません。究極を言えば、私達が物理世界でやることなすことは、すべてこの習慣に当てはまります。誰か何かになろうとしています。だからといって、わたしたちの行動をすべて否定する必要はありません。多くの人がいて、あなたと私は違いを持っており、その違いは世界の中でバランスが取れています。あなたがパンクっぽい格好をしたとしても、バランスが崩れ、世界が崩壊するなんてことにはならないのです。

健全であれば、バランスが自然に取れます。革ジャンバリバリで往年の暴走族ぽい格好のおじさんが、とても優しい人であるなんてよくある話です。

では、本当の自分は何か?安易に答えに飛びつくのはやめましょう。本やネット、このサイトの回答に飛びつかないでください。本当の自分ではない部分を見つけ、手放してください。

なりたい自分というゴールに向かうのが悪なのではありません。大抵の場合、理想のイメージを発信するための努力は、欲求がベースになっています。そういうふうに見られたいとか、称賛を集めたいとかです。そうした欲求ベースでは、他人から見てもイメージに違和感があり、自分でもどこかに浮いた感じを持ってしまっています。

逆に言えば、本然の向かう方向=理想的なイメージであれば、自他ともにしっくりきます。どんな職業であろうとも、規範的なロールモデルの人が存在しています。そうした人は、本然=自分のイメージなのです。自然な雰囲気を持ち、無理を感じさせません。

本当に本来の自分の向いたい方向性を見つけるには、制限を手放していく作業が必要です。もし、手っ取り早く、判断したいなら自分の気持に注目してください。本然に近いものなら、ネガティブな感情は一つも浮かばないでしょう。ただし、正直に見つめる必要はあります。なにかになろうとして、ネガティブな感情が浮かんでくるなら、本然からくるものではなく、エゴの欲求であると認識しましょう。

4.ネガティブに比較する - Making negative comparisons

欠乏感を感じているとネガティブになりがちです。ネガティブになっているときは、何かを比べるときに、良い点ではなく、悪い点を中心に比較します。これは一般的な傾向です。

そもそも、比較する時点で本然の状態ではありません。比較は思考の作業です。本然の判断では、いつもその時点で最適な選択肢を選んでいます。比較するという作業はより多く欲求を満たそうとする習慣です。

そして、ネガティブな部分を探すという行為自体がネガティブを強化します。何もかもネガティブな意見しか言わない人を知っていますか?そういう人たちは、周りをイライラさせます。あなたがそうした部分を持っているなら、あなたの中の他の部分はイライラし、抵抗してしまい、自身の統一性を失ってしまします。

一番本前に近いものは確信を持った直感です。それが無理なら、ポジティブな面をまず考慮・検討しましょう。ネガティブを最初に検討するのは、物事が止まってしまいます。アイデアをグループで創出するブレインストーミングの一番のルールは、アイデア出しの部分で出た発想を否定しないことです。否定してしまうと、発想が止まります。それと同じです。ネガティブに注目すれば、ネガティブはストップをふくむため、選択肢が十分に現れて来ないでしょう。

最後に、我々の理性はこの傾向を持っていることに留意してください。このネガティブな習慣を場合によっては「理性的」という好ましい言葉で覆ってしまうと、認識が困難になります。知性が高い人はネガティブな傾向があるという研究もあります。それは本当の知性ではなく、エゴの心配性な面です。

5.自分の経験を過剰に解釈する - Over-interpreting your experience

誰しも過去におきた思わしくない出来事から、ネガティブな影響を受けているなら、その出来事に捕らわれてしまいます。幸福なことに私たちは手放しのテクニックを知っており、適宜実行すれば、その出来事から受ける影響を小さくできます。

しかし、影響が大きな出来事を経験すれば、それが良かれ悪しかれ、しばらくはその経験を解釈してしまいます。そうした傾向を持っています。

今年、2024年の年頭に能登半島の地震がありました。被災された方は、その出来事について考えるでしょう。それは自然な人間の傾向です。これほど大きな出来事でなくても、引きずる傾向を持つ人がいます。人によっては小さなことでも、ああでもないこうでもないとしばらく考えてしまいます。

これがメンタル的に良くないのは、意識が現時点から離れている状態が続くからです。現時点で身の回りに起きていることをそのまま十分に経験できなくなります。現在の出来事への対処が弱くなります。

そして、リリースと違い、それを手放すのを目的とせずに、ただ考えることは出来事からの影響を長引かせてしまいます。ネガティブなことが起きたときに、その出来事の解釈を変えるのは、NLPのテクニックや心理療法にありますが、考えるだけではありません。

ネガティブを開放するテクニックを使い、出来事からの影響を素早く手放し、気分を回復させれば、その先ずっと悩むよりも、早く立ち直った時間の分だけ得です。

良いことでも、悪いことでも、過去の出来事にとらわれるなら、現時点にいられなくなり、対処ができなくなり、今起きていることを十分に経験できなくなります。現実が薄っぺらく感じられるようになってしまいます。

リアルな人生を生きるため、過去を引きずらずに、十分に現時点に意識を保ちましょう。

6.支援を受けるため、自分自身の外部の何かに依存する - Becoming dependent on something outside yourself for support

これは逆から考えましょう。何が好ましい傾向なんでしょうか?

答えは、自分自身の本然への依存です。万能でポジティブな本然へ依存することが理想です。

では、私たちはなぜそれができないのでしょう?それは恐れているからです。恐怖心を抱いているからです。私たちは本然の強力さ、万能さを頭で理解しています。しかし、人生をかけるような決断はなかなかできません。万能さを信じ、明日から会社をやめて自由に生きていくなんて難しいのです。

ですから、会社へ依存します。社会のシステムへ依存します。私達が安全だと信じている物事へ依存します。実際は、明日どうなるかは不透明であっても依存し続けます。これが習慣なのです。

自分が何に依存しているか、頼りにしているかを探れば、比較的簡単に見つかります。しかし、見つけるのは簡単でも、その大本の恐れをリリースするのは(信じている分だけ)難しいのです。

しかし、究極の自由を手にして、最終的な絶対幸福を得るには、この根本的な恐怖を克服しなくてはなりません。そのためには、自分の本然の万能さを信じきらなくてはなりません。

いきなりは難しいのです。ですから、レスター博士も段々と達成できることを大きくしていくことを勧めています。100万回、自分は万能だと唱えても、信じられないでしょう。これが起きたら良いなという出来事を小さなものから現実化することで、より大きな現実化を達成できるようになり、その分だけ自分の万能さを信じられるようになっていきます。自分の人生を自分が作っていると信じられれば、あとは考え方を調整するだけです。恐怖心は完全になくなります。

7.自分が次に行なおうとしていることを楽しみに待つ - Anticipating what you are going to do next

厳密には、行おうとすることを予期するです。翻訳版の和訳に合わせ、楽しみに待つと紹介しています。

タイプによらず、すべての人が持っている逃避の戦略です。現実がネガティブであったり、退屈であったりすると将来・未来を意識し、次の機会のことへ意識を向け期待します。

しかし、遠い将来の夢について考えるという意味ではありません。「次にしようとしている」ことです。自分がしようとしていることです。それについて予期、予想、楽しみに待つ、先取りしようとする傾向です。

これも我々がよく使う恐怖への対応策です。エゴの防衛機制です。次に行うと決めていることへ意識を先ばせらせ、現時点の状況から受けるマイナスの影響から逃げるのです。いま現時点の出来事から意識を外します。結果、現時点へ十分に対処したり、今を十分に味わうことができなくなります。集中力に欠けてしまいます。

8.人生を強制し、コントロールしようとする - Trying to force or control your life

一見すると良い習慣のように思えます。人生をコントロールするのですから。しかし、強制的なコントロールというところが罠です。

要は、コントロールの欲求に操られ、何もかも自分がしたいようにやるのです。それが本当にやりたいことでなくても、その時の気分で思ったとおりにできないと癇癪を出すような習慣です。

例えば、あなたが社長だとして自分の会社の利益を出したいとします。しかし、客の言っていることが気に食わないからと、仕事を突然キャンセルします。経験のある社員が自力でできることでも、自分のやり方に従わせようと強要します。極端な例ですが、私が実際に経験した人たちの行動です。

究極的には、こうした強いコントロール欲求を持つ人も、自分の本然の力を発見し、信じ、起きるに任せる態度が取れるようになるまでは、この習慣に囚われたままになります。

しかし、どんな人間であろうと、この習慣も多少なりとも持っています。第なり、少なり、コントロール欲求を持っているのですから。

欲求に振り回されないように、しっかりとこの習慣を見つけてください。

9.経験から影響を受けることに抵抗する - Resisting being affected by your experiences

本然の明鏡止水、何者にも動揺されない状態とは、外部からの刺激をブロックし、影響を受けることを拒絶することではありません。外部の出来事を現時点で十分に味わい、経験しながらも、平静が揺らがない状態です。

しかしながら、ある性格の人は平穏な心が乱れるのを嫌い、良いことでも悪いことでも、経験を受け入れ、それに影響をうけることに抵抗する傾向を持っています。

もちろん、どんな人でも多少はこの傾向を持っています。例えば、自分にとって良いことが起きて、思わず頬が緩んでいるのに、「いや、こんなことで嬉しがるのは癪だ」と抵抗したことはありませんか?

経験から異教を受けるのを避けるとは、自分の中の平和や安定を維持したいという欲求であり、そのために感情を遮断したり、無視したりする必要がおきます。

経験に抵抗するには、身の回りに起きる変化にも抵抗することになります。それは、チャンスを潰すことになるかもしれません。もしくは、現実を否定し、結果現実の生活がおざなりになるかもしれません。

そして、経験を受け入れ、経験から学ぶことができなくなります。