レスター博士は心を現実作成装置として、定義しています。

セドナメソッドのヘイル氏は頭でなく、心で感じろとよく言います。

ここで使われている心は、多少違っているんです。

心を表す単語はheart,mind,soulなどがあります。soulは魂という意味合いが強いので、ちょっと外しておきましょう。

まず、一般的な名称、日本人が心といったイメージで捉えるときの心はmindが使用されることが多いようです。博士が現実作成装置として取り上げる場合、使っているのはmindです。この一般的な心という広い意味合いで使っているんだと思います。

日本語で、心が乱れるとか、心穏やかなというときの心はheartです。元々の意味は心臓です。昔の人は、脳みそでなく、心臓で物事を考えていると思っていたんです。

両方の単語とも一般的な心という意味合いは持っているのですが、比べたり、使い分ける場合、思考はmind、感情はheartとなります。

頭でなく、心でという場合、当然使われているのはheartです。これは身体的な頭と心臓という対比をさせることで、頭=思考ではなく、heart=感情的・感覚的な心で感じなさいという意味になりますね。心と訳されることで、この心をmindの思考的な心という意味合いで理解してしまうと、手放しするのに、一生懸命考えてしまうことになります。

私の場合、心と訳していますが、心で感じると訳すことで、その意味合いを含めています。もともと、原文はDon't use head, use heart(冠詞、定冠詞がついたか忘れたので、省略です。 照れる)で、両方ともuse=使うになっています。そのため、間違う人はいないと思いますが、心という捉えられないもの、抽象的なものは、個人によって定義付けが異なっていることが多く、またその人が勉強している別のプラクティス、哲学、宗教での定義を持ってきて当てはめてしまうと、解釈がずれることがあります。

そのための、注意喚起でした。