ヘイル氏はよく、自分の愛する人に対する「リスト」を手放すように、書いています。
人間は愛する人や親しい人に対して「こうするべき」そして「こうしないべき」という、リストを作り始めてしまいます。一度このリストを作ると、相手がそのリスト上の項目を行うことに注目してしまい、期待し始めてしまいます。その結果、相手に話すか話さないかは時々でしょうが、「ほら、やっぱりやった」と相手を非難し、自分の考えを正当化するという罠にはまっていくわけです。
さらに、一度リストを作ってしまうと、次から次へと、アイテムを増やしていくわけです。「これも気に入らない」、「あれも気に入らない」
結果は、そのままの相手が好きだったのが、その相手のなにもかも気に入らなくなり、関係を維持するのは難しくなるわけです。
そこで、このリストを燃やしてしまう、つまり手放してしまうことを勧めているわけですね。最初の頃のように、そのままの相手を愛せるように。
今日寝起きに、これは自分の愛する人や家族だけでなく、一般的で具体的な人や抽象的な人にも応用がきくことに気がつきました。たとえば、「総理大臣」とか「犯罪者」、「犯罪被害者」とかにもです。
今の、いや「最近」の総理大臣達と言っていいでしょうが、ぱっとしませんね。私たちは、マスコミやネットを通じていろいろな意見を聞くことができますが、たいていはネガティブなものです。そして、知らず間に外部の意見を自分のものにしてしまいがちです。そして、「こうするべき、しないべき」リストを自分の直接知らない人々にも作成していきます。結果、あちらこちらに反感、つまり抵抗や感情の乱れを抱くことになります。これは自分にとって「得」でしょうか?私は「損」であると気づきました。
そこで、今朝寝起きにリストの存在に気づき、そのリストをいくつか手放してみたわけです。すると、その分だけ軽くなりましたよ。相手が直接知らない人であると、なかなかその存在に気がつきませんが、職業や人の種類を表す言葉をいろいろと思い浮かべると、この手のリストは意外に見つかりますよ。
方法は個人的なものです。まあ、リリーステクニックの応用ですね。1.まず、対象をみつけ、その人、もしくは人たちに対する「すべき・せざるべき」リストがあるかどうかさぐる。2.あれば、そのリストとそこから出てくる感情、感覚、映像、音、体感覚、ストーリー、そしてリスト上の項目を受け入れ、ありのままに感じる。3.まだ残っているようなら「手放せるかな?」と尋ね、「はい」と決断できたら手放す。4.多少残っている感じがあっても、消えていても、そのリストを持つことが「コントロール・承認・安全」のどの欲求から来ているのか調べ、存在する欲求を手放す。
これからも、時々これを行っていくつもりです。自分の身の周りの抵抗を手放す方法と同様に、一般的な生活が楽になっていきそうです。手放すべきリストはたくさんありそうです。「政治家」、「日本人」、「中国人」、「韓国人」、「中国人」、「アメリカ人」、「役人」、「県民」、「市民」、...etc.