自分自身が長期間抱えている問題・停滞を解決するために見直そうとリリースに関する情報をまとめたものです。


あまりに長く好ましくない状態が続くと、それに慣れ親しんでしまい、私達はそれが問題や停滞であることを忘れてしまいます。当たり前過ぎて、問題や不快な状況であるという認識も薄れてしまいます。

さほど長期間でなければ、問題や停滞を感じたままですが、それは本当は苦しいことです。そこであえて、苦しさから目を逸らしてしています。そして、問題はないかのように振る舞うのです。

ときには真逆の方法を取ります。問題の解決になるだろうという行動に夢中になることで、その元々の問題から目を背けます。一番典型的な例は、お金の安定を得るために、本当にしたい仕事ではない職に付き、十分ではないが暮らしていけるだけの金額を手に入れ、お金への不足感を抱えたままの生活を続けるというものです。

そうした問題の解決方法は、レスター博士が提唱している6ステップにヒントがあります。ステップ5の停滞しているなら、その停滞をコントロールしたい欲求を手放せという教えです。

コントロールしたい欲求は、コントロール不足であり、コントロールできていないことを意味します。それが現実社会に現れてしまっているのです。そのため、問題という好ましくない状況、解決できなくて停滞している問題は持続し、私達は今も抱えたままにしています。

メソッドやテクニックを教えている人は、そのままダイレクトに、「そのコントロール欲求を手放せ」と誘導します。これがすべての人に効果があるとすれば、応用コースや上級コースはいらないはずですが、実際にそうしたコースが提供されています。つまり、単に問題をコントロールしたがる欲求を手放そうとしただけでは、うまくいかない人が多いということです。(ただし、方法が間違っているのではありません。わたしたちがあまりにも複雑になってしまい、エゴにしがみついているために、認識が追いつかない部分が多いのです。)

問題や停滞に気づく

人間は言葉のままでは気が付かなかったり、麻痺してしまったりで、認識できないことがあります。

ですから、言い方を変えてみましょう。「長期間、思い通りでないことは?不満に思っていることは?理想的ではないことは?対処を諦めてしまっていることは?」

まずはそのまま、手放してみる

「その停滞をコントール(思い通りにしたい)欲求を手放せるかな?」

直接リリースしてみましょう。それで、スッキリと手放せれば御の字です。逆に、手放しきれないとか、何かが残ってしまっている感じとかあるなら、以下のバリエーションを試してみましょう。

問題に対する有利・不利

問題を抱えることはたいてい自分にとって不利です。ですから問題なのです。

しかし、その裏で自分にとって有利になる動機が隠れていると、手放せません。そのために、問題に対して有利・不利のペアの質問を行い、思考レベルの有利な点を見つめてみましょう。感情レベルでも確認するために好き・嫌いのペアの質問をやってみるのも、良いかも知れません。

問題が解消された状態をテーマにして好き・嫌い、有利・不利を行ってみるのも役に立ちます。例えば今抱えている体調不調が問題であれば、「健康」をテーマに選びます。借金が問題なら、「財政的安定」や「大金持ちになる」、誰かとの不和が問題なら、その人との「良い人間関係」や「友人」、「平和な生活」などをテーマにクリアリングします。問題を解消した状態に対して嫌悪を持っているなら、問題解決に向けて動いていくことはありません。

どうにかしようとすることを手放す

「その問題を解決する、どうにかしようとすることを手放せますか?」

問題があれば、私達は通常それを解決しようとします。そう教えられてきましたし、解決できることが良いことだという基準を持っています。問題は良くなく、問題がないことが良いという基準も学んでいます。そこで、問題があれば、それが自力で簡単に解決できないことであっても、解決しようとします。こうした習慣を学んできました。染み付いています。

そして、何かの行動が結果を生み出すという概念も抱えています。がむしゃらに行動を取ろうとします。

もし、100%解決できる方法を知っているなら、私達は迷わずそれを行い、問題や停滞は即座に解消し、私達は長期間持ち続けることはありません。

でも、100%の方法を知らないのです。そこで、今まで刷り込まれてきたパターンが勝手に動き、何らかの行動を取り解決しようとします。これは習慣なのです。

そこで、リリーステクニックの問題解決の手法では、最初に先程の質問で、問題に対してどうにかしようとする欲求を手放します。次に、「どうしたらよいかを知りたい欲求を手放せますか?」と、何をすべきかを知りたい欲求も続けて手放します。

問題を解決するために、何をすべきか知りたがっているなら、まだ、問題を解決従っているということです。解決策が思い浮かばない問題に対して、行動で解決できる方法を求めているのです。これを手放しましょう。

答えを知りたがる欲求を手放す

リリーステクニックの問題解決のリリースはまだ続きがあります。

「その問題に対する答えを知りたがる欲求を手放せますか?」

「(すべてのことに対し)答えを知りたい欲求を手放せますか?」

最初の答えを知りたがる欲求の手放しは、「どうすればよいかを知りたい欲求」のバリエーションです。

ズバリ解決できる答えを求めているという点では、ターゲットをより絞った質問と言えますし、逆にやるべきことという行動に絞った質問に対し、答えという言葉で行動以外にも間口を広げているとも言えます。質問の意味をよく知りたがるよりは、文面通りその問題に対する答えを知りたがっている欲求に気が付き、手放してください。

次の、問題にかかわらず、どんなことに対しても答えを知りたがる欲求を手放せというのは、私達が持っている習慣に対しての手放しです。

そもそもすぐに解決できないものに対して、私達は答えを持っていません。答えを持っていないのに思考というエゴのレベルから答えを引き出そうと、私達は「考え」ます。

本然の私達は、必要なときにより高いレベルからの答えを受け取れます。この前提に立った場合、思考レベルの答えを求めるというのは、考えれば答えばどうにかなるという希望であり、答えを出すためにもっとよく考えろと教育を受けてきた習慣です。問題に対して考えても答えは出ないのです。この習慣を手放しましょう。

問題を愛しましょう

ラリークレーン氏は「自分自身を愛する」という書籍で、「愛には自分や他人、周りやこの世界という区別がない。本当に愛せる状態になれば、問題は解決する」と説明しています。

問題とは、好ましくない状況です。嫌悪です。問題意識とは嫌悪で、理想的ではないという欠如感です。問題だと思っているのであれば、それが存在するこの世界を嫌っているのです。

問題の解決策は愛することです。自分自身を愛し、家族を愛し、他人を愛し、すべてを愛することです。問題を愛してください。

問題を愛するとは、問題やその状況を好きになるという意味ではありません。それを受け入れ、変えようとせず、ありのままでいさせてください。本当に問題を愛せれば、このあとに紹介するような問題の手放しを妨害する要素はすべて同時に消え去ります。

ちなみに、別の表現で「問題は楽に直面できるようになると消える」というものがありますが、同じことを表現しています。楽に直面できるとは、そのまま受け入れるということであり、愛し方でもあります。

では愛してみましょう。ラリーさんは非愛、つまり愛ではないもの、愛ではない感情・感覚、愛ではない思考を手放せば、残るものは愛であると教えています。愛は私達の本然であるからです。本然を覆い隠しているものを消し去れば、愛が残ります。

もう一つの実践は、声にしてみましょう。実際に声に出さなくとも頭の中だけでも構いません。「問題さん。愛しています。本当に、本当に、愛しています。」最初は抵抗感が湧き上がって来るでしょう。手放しましょう。続けていくうちにより真剣に、よりリアルに言えるようになります。

責任を取る

日本人は特に、「責任」という主題に関して、偏見を持っています。ほとんどの場合責任を取るとは、現在付いている役職を辞めることを指しています。ときに群衆は、直接関係しない立場の人に対しても、責任を押し付け辞任するように求めるという、その立場の人に取って責任は全くコントロール外のものであると感じられるでしょう。本来、責任とコントロールは同じ主題であり、人はコントロール範囲に対して責任を取るものです。コントロール外に対して責任を求めている日本人は、理解がおかしいのです。

博士の言っている責任を取るとは、現実は私達の思いが投射され現実化されているのだから、悪いことを考えるのは止め、良いことだけを考えろということです。つまり、私達の対峙する現実は何を考えるか・どう思うかをコントロールすることで、コントロールできるのだから、現実が思わしくないのなら、思考を良い方へ変えなさいという教えです。

質問してみましょう。「この問題をどこから生み出しているのか?」

外側を探すのではなく、自分の内側を探します。この問題を生み出しているのは自分のどの部分でしょうか?どんな執着でしょうか?何に抵抗しているでしょうか?

皆さん、色々読んだり調べたりして、心の構造や仕組みについてはそれぞれ理解されているでしょう。その知識を使って、自分の中を探しましょう。アチラコチラをつつき回してみましょう。ないと思って探すのではなく、なにかがあると思って探しましょう。知性や理性ではなく、感情・感覚や体感覚を利用しましょう。意識を向けると何らかの反応が起きます。それをサインにして追求してみましょう。

見つけたものを手放します。ネガティブを手放せば、自然にポジティブに考えられ、ポジティブなことが起きます。

いろいろな角度から問題を探る

スピリチュアルの技法には、質問を様々に変化させる方法を教えているものもあります。聞き手が意味をよくわかっていなかったり、リアリティがなかったりすると、質問から意中の答えを引き出せません。そんなときに質問を相手に合わせて少し変えてみると答えを引き出せます。

これは、いろいろな角度から心に存在するものを観察してみることとも言えます。真正面から見えなくても、真後ろから見たら隠れているネガティブが丸見えだったりするものです。

セドナメソッドでは、感情の手放しに分析はいらないと強調されています。リリーステクニックも似たような解説です。ただ、同一テーマに関する好き・嫌いや有利・不利のプロセスの実行などは、それ自体が分析の役割をしています。質問の答を探しているうちに、自主的に様々な見方でテーマを観ることが期待されています。(それをしなければ、同じ質問から、同じ答えしか出てこないでしょう。)

そもそも、人間は当たり前すぎるところや、抵抗が強いところ、関心がないことには目を向けないものです。ですから、ポイントを絞り、問題を解決したがっていないかを観察してみると、自分で気がつかない欲求に気がつくかも知れません。

観察の視点は、問題を維持すること、解決を避ける抵抗などです。実際、その傾向があるというぼんやりした答えが見つかっただけでも、問題を手放しする障害になっていたと理解できることがあります。

自分の問題なのか

最初に簡単なチェックから始めましょう。調べてください。

「この問題は、本当に自分が解決すべき問題/停滞なのか?」

セドナ本の第5章の初めにあるように、自分ではどうしようもないことを変えようとしていませんか?自分以外の人の問題を抱え込んでいませんか?他人を変えることを問題だとしていませんか?

私達が自分の状況を自分で起こしたものと認める、つまり責任を持つことで、私達自身により状況が変えられます。それは他の人にも当てはまります。レスター博士は子どもなどが不幸な目に会う事に同情することについて、「では、彼らがそれを望んでいたのか(作り出したのか)聞いたか?」と返しました。これは冷たいように思えるでしょうが、輪廻転生と業は思いで次の人生に引き継がれ、現実は自分で作り出しているという立場から見れば、当然なのです。

私達は、自分も含めて各人の状況をありのまま、そのまま受け入れる必要があります。愛は需要です。愛は一方通行で与えるだけであり、愛を与えるとは相手をそのまま受け入れることです。それゆえ、自分以外に関してはありのままを心の乱れなく、そのまま受け入れましょう。子供や家族となると、これが難しくなります。しかし、受け入れることが解決になるのです。

復讐心

問題が感情的なトラブルを含んでいる場合、または感情的な出来事が解決しようとして起きた場合、時に「問題を持ち続ける」ことが、誰かに対する復讐になっていることがあります。問題を抱えて辛くても、相手にダメージを与えられているのであれば、それでも良いという決断です。

復讐は良くない行いとして、私達は教育を受けています。社会的にも復讐者は最終的に罰を受けるという筋書きのストーリーのドラマや漫画からも影響を受けています。私達は自分を善人だと考えており、そのため悪い動機を隠しています。そのため、自分が復讐心を持っている可能性を認め、真摯に心からの答えを期待しないと見つかりません。

では、あなたの問題が誰かへの復讐になっていないか調べてください。この問題により実は悪影響を受ける人はいませんか?今は自分個人の問題と思いつつも、問題が広がれば誰かに迷惑がかかるのではありませんか?復讐心を見つけるためにも、いろいろな尋ね方で心を探ってください。

復讐心の手放しも、博士の6ステップのステップ1がキーになります。復讐心もコントロールの欲求です。時に復讐のもとになった心の乱れは、承認や安全・安心・生存欲求であることはあるでしょうが、復習したいという動機は物事を支配したいというコントロール欲求です。それよりも自由で幸せな状態である「静穏」を求めてください。

依存心

依存は、誰かに頼りにされたい、誰かに頼りたいという欲求です。時に片道、時に両方向です。 特に日本では依存も好ましいこととして、教えられてきました。皆さんも人間の暮らしは誰かに依存し、誰かから依存され成り立っていると教えられてきたでしょう。

しかし、問題により依存が起きており、依存したままにすることを願っているなら、問題は手放せません。ですから、問題に関して誰かに依存していないか、誰かから依存されていないかをチェックして見つけてください。

この依存は性格に組み込まれている人もいます。性格に組み込まれているパターンは当人にとって当たり前で、はっきり認識しづらいものです。しっかりと捉えてください。また、依存を嫌っている場合も見つかりづらくなります。注意を払いましょう。

誰かのため

問題が、自分を含めた誰かのためになるという思いがないか調べましょう。問題が役立つと思っているなら、手放しきれません。

問題が誰かのためになるというのは奇妙な考えです。でもわたしたちのエゴには、奇妙な考えも含まれています。わたしたちが自分だと思っているエゴには、理性的で論理的で正当性のある考えだけが含まれているわけでなく、非論理的で常識的でない考え方も隠れています。

私達が各自異なり、個性を持っているその中には、その人独自の行動パターンも含まれています。これは、一般的でなく、他の多くの人は奇妙だと思っている考えが奥底にあります。

引き出すために「この問題は誰の役に立っているのか」という奇妙な質問をしてみましょう。出てくる答えを自分の理性のフィルターで否定しないようにしてください。奇妙な考えは「A=B」です。理性ではABは別々の事象として認識でき、イコールは成り立ちませんが、シンプルに別のものを結びつけている思考です。

普通に探してもなかなか見つかりません。この質問を行い、頭の中で思いついた思考を全部、口に出し、どんどん紙に書き留める方法が使えるかも知れません。頭の中の思考はとても早く進むことがあるので、口に出すことで、スピードをコントロールします。どんどん書き取るかタイプしていくうちに、段々と理性的な答えが付きてきて、続いて奇妙な非論理的な答えが浮かんできます。のめり込んで行ってください。理性のフィルターを止めてください。ただ出たものを書き留めてください。出てくれば自分でわかります。思考が書き留めるスピードに追いつかなければ、答えを声に出し、録音する方位もあります。後で聞き返して、奇妙でない答えを探し手放してください。

恥を避ける

その問題を持つことが、自分にとって恥に思える場合は、そのまま避けたい承認欲求を手放してください。でも、その問題を持つことがある恥の感覚を避けるために役立っている場合、自問しなければそれを認識するのは難しいでしょう。

シンプルに尋ねてみましょう。「この問題は恥や罪悪感を避けるために役立っていないか?」

特別さ

自分や他人のリリースを鑑みると、自分の特別さ、個性に結びついているものは、手放しづらいようです。たとえば感情に対して、「この感情は私の自分らしさだ」と執着している人は、お手軽なメソッドである手放しの手法では、その環状を開放できません。

問題も同様です。あなたの抱えている問題があなたの個性であるとか、その問題を抱えている自分は特別な存在であるという思いを抱えているなら、問題を本当に手放そうとはしないでしょう。

「この問題は私を特別にしてくれていないか?」、「この問題を抱える自分は特別ではないか?」、「この問題をかかえるなんて、自分らしいなあ。」調べてくください。

自分を表現する抵抗

問題を手放し、開放されば、その分自由になります。本来の私達へ戻ります。本然をその分表現できるようになります。

しかし、その自由に自分を表現、表出できる事に対し、それがストップになっていることもあります。問題を抱えていることで、変化を避けることができ、表に出て自由に活動しなくても良いという思いです。よく言われるコンフォートゾーンです。慣れ親しんだ今の現状に満足し(本当は満足していない)、問題をこのままにしようとする動機を持ちます。

もしくは、問題を解決した結果、自分の作品が世に出たり、自分が表舞台に出ることに抵抗しているのかも知れません。この種の抵抗は、問題と解決した後の状態をテーマにして有利・不利の質問を行うことで見つかるでしょう。まだ、取り切れずに残っているものがないか、直接自分に尋ねてみましょう。

「問題を解決することで、起きたら最悪なことは?」、「問題を解決した後で、やりたくないことは?」、「問題がなくなれば、やらなくてはならないことは?」

退屈さを嫌う

全知全能であるわたしたちの本然が、なぜエゴを引き付けてしまうかという疑問には古今東西様々な解釈があります。

その一つは、我々が一つの純粋な意識体であったとき、まったく変化は起きず、変化がないということは時間や空間の概念さえもありません。その状態から、何かのきっかけで、意識を2つに分割したら相手は自分と違う意識を持ちます。すると違いが生まれ、退屈な状態が解消されます。そこでどんどん分割していき、時にぶつかり、激しくぶつかったものは物体となり、物理世界が構成され世界が生まれました。法則ができ、そのなかで役割を果たし、自分の思い通りにいかない状況を楽しむようになったという考えです。

事実はどうであれ、私達は「静穏」であることを退屈だと捉える傾向があります。心を乱したり、興奮したりすることがないのを退屈だと考え、退屈を嫌うのです。これは変化を求める、支配欲求の一形態です。

「問題を手放した後の、平和で静かな状態は、退屈ですか?」

自問してください。自由で制限がない状態を退屈と思うのも、わたしたちの根深いパターンです。

メソッドへの疑い

スピリチュアリティに基づいた手法で成果を出すには、信心が必要です。つまり、自分自身や法則、手法を絶対的に信じていなければなりません。愛と同様に、信じる心も私達の本然だからです。疑うことは、全知全能の本然から離れているのです。

長い間、メソッドやテクニックを行っていると効果があることもあるし、ないこともあると表面的な実行にとどまるようになってきます。

問題解決に対する手法は、絶対的な信頼がなければ100%の効果を出せません。自分自身を絶対的に信じられなければ、100%の自由は手にできません。

リリーステクニックやセドナメソッドに対する抵抗を見つけて、開放しましょう。信じられない部分を見つけて手放しましょう。無理に信じるのではありません。愛するためには愛でないものを手放すのと同様に、信じ切るためには、すべての疑いを手放しましょう。

本当の問題

エゴは狡猾です。なかなか感覚が手放せない場合、その手放そうとしている感覚は実は別の隠した感覚の代償として、表に出しているものかも知れません。エゴが隠して手放したくない感情は別にあるのです。

それと同様に自分が取り組んでいる問題が本当の問題なのかを調べてください。もっと、重要な問題から目を背けていませんか?本当はどうでも良いことを問題にしていませんか?

これ以前に取り組んできた、様々な角度の見方をするうちに、これに気がつくかも知れません。もし、気がついていなかったら、この「本当の問題なのか?」という質問を心に抱いて、さっと以前の見方を繰り返してください。それで本当の問題が見つかるかも知れません。

本然を100%表現する抵抗

私達の正体は本然です。本然は人間や生物・存在(ビーイング・ビーイングネス)の良い気質です。本然は一つですが、それを表す言葉・見方は様々で、愛や空、自由や調和、力や知恵、真実と様々に表現されます。

本然が発揮できれば、問題を抱えることはありません。ですから、本然を発揮できない・しないことに根本的な原因があります。

レスター博士は100%出せと言っていました。ラリーさんはshow upという言葉を使いました。これは表す、参加するとかいろいろな日本語に訳せますが、show+upという言葉が表す通り、「現実に見せるようにする」というのが原義です。何を見せつけるのか?それはもちろん、わたしたちの本然です。

問題の前に、自分の持っている能力や可能性、愛や力を表そうと決意してください。エゴに邪魔されず、大きく発揮しようと決めてください。それだけで、事態は動き始めます。

問題をゴールで解決しようとする

セドナメソッドでも、リリーステクニックでも、ゴールを立ててクリアリングする方法を教えています。ただし、これは以前に投稿した記事に書いたとおりに、問題の手放しの後で教えられるテクニックです。

ゴールクリアリニングを行っても、問題をどうにか解決しようと思っている、もしくは問題の解決策をゴールとしている限り、私達は問題を解決しようとしており、その欲求、つまり欠乏感は現実化し続けます。

例えば金銭問題を抱えており、問題を解決するには1千万円が必要である場合に、「1千万円以上を手に入れる」ことをゴールにしてクリアリングしても、それは問題に対して何かしようとしているのであり、変化を起こそうとコントロールする試みです。

ゴールを立てる前に、シンプルにその問題や停滞に対してどうこうしたり、解決しようとしたり、知りたがったりする欲求を先に手放しましょう。