性格分類の一つとして使われているエニアグラムは、本来このサイトで扱っているようなエゴの開放を目的としています。自分の固定された無意識のパターンを手放すヒントになります。
本来エニアグラムは本来、精神的、スピリチュアリティなものです。私が言うスピリチュアリティとは、日本語の「精神性」そのままの意味です。スピリチュアルという言葉の定義には精神性の他に、オカルトや霊的という意味合いも含みますが、それらを取り除き、特定の手法や考えではない、物理および精神の働きの裏側にある共通の概念を指します。
エニアグラムをスピリチュアリティの文脈で扱うのは、心理学的な考えをする人たちからは嫌われます。実際、エニアグラムは科学ではなく、心理学者からも厭われているのにもかかわらず、エニアグラムを心理学だと主張する人たちです。
リソ以前のエニアグラム専門家は、スピリチュアルの文脈でエニアグラムを解釈していました。その時代に科学的だと考えられていた心理学的な解釈を適用したにせよです。(学問の心理学と心の働きをそれらしく説明するものを混同して心理学と呼んでいました。今もこの点は大してかわりありません。)ただ、当時のエニアグラムは、タイプの解釈のばらつきが多く、これでは実際に役立たないだろうと、リソ氏が各タイプの特徴を集めていたデータに基づき整理し、理論付け、最初に一般向けに出版しました。
大きな流れとして、リソ氏が科学的っぽいエニアグラムの流れの中心となり、(ただし、リソ氏もグルジェフの精神的ワークに興味を持っており、後にグルジェフワークの実践者であったハドソン氏と出会い、両氏とも後述のアルマース氏の主催団体で経験した実践の結果を自分のエニアグラム理論に組み込み、考えを進展させました。)
この流れとは別に、透視家であったパーマー氏は団体を作りましたし、スピリチュアリティの文脈で研究する個人の多数の教師たちも存在し続けました。その中でも自分のグループを作り、比較的うまくスピリチュアリティのエニアグラムを伝えてきたのはアルマース氏です。(エニアグラム以外も教えています。)ただ、難点は彼のエニアグラムは彼自身の精神的な経験に基づいており、解釈が難解なことです。そこで、彼の教え子であるサンドラ・マイメリ氏が多少噛み砕いて説明した書籍を出版しました。(それでも、スピリチュアリティの素養がないと、理解は難しいです。)
私は、彼女の著作を読み、過去の様々な学びが一つに繋がりました。彼女の考えを今度は私流に噛み砕いて、今回紹介します。手放しに役立つからです。
まず、人間やその他の生物の本然、つまり精神的な大本を想定します。当サイトの過去記事でも紹介した言葉であればビーイングネス、日本古来の言葉であれば魂、その他呼び方は多々ありますが、一番大元の「状態」です。状態としているのは、考えつまり言葉や意識を理解する前、それらを理解するには体のセンサーが必要ですが、それができる前から存在しているためです。センサーができる前から存在するため、認識や考え、言葉や感情、感覚ではありません。純粋な状態です。
この大本の状態は絶対的な幸福、エネルギー、生命力でもあります。日本語には便利なオノマトペがありますので、それで表すなら、ピカピカ、キラキラ、ウキウキ、ワクワク、スラスラ、ラブラブ,いきいき、らくらくなどです。ほかにもまだ足すべき表現はあるでしょう。
マイメリ氏はこれは3歳ぐらいまでには完全に失われると説明しています。私はもっと早い時期に失われ始めると考えています。母親の体の中で感覚器が完成すると同時に、この大元の状態であるという感じは段々と感覚に覆われ、覆われた分だけ失い始めます。感覚器が機能するにつれ、思考や感情の能力が成長するにつれ、段々とこの原初の状態を体験できなくなります。
これを失いつつある段階では、喪失感を感じています。原初の喪失感です。「この素晴らしい状態」は弱まるばかりで、取り戻せないという絶望です。
これは強い絶望感です。私は原初の状態を直接覚えているわけでありませんが、この喪失感はかろうじて覚えています。小学校に入りたての頃、夜中に親に起こされ、強くうなされていたと教えられていたため、その時に見た夢を覚えています。(数十年忘れていましたが、10年ほど前にこの夢を見たことを思い出しました。)とても抽象的な夢で、それまであった幸福感が段々失われてもとに戻せないという、まさに原初の喪失感でした。怪獣やおばけなどの具体的な何かに対する恐れの夢でうなされたのではなく、抽象的な取り戻せない絶望感という悪夢に、一生で一番強くうなされました。それほどこの絶望感は強く、逆に言えば本然の状態はそれほど心地良い状態なのです。
どうにかこの感覚を取り戻したいために、完成しつつある感覚で遺伝的に使いやすいものを使い、この原初の感覚をコピーしておこうとします。これがエニアグラムでいう所の聖なる~です。性格タイプが遺伝に影響を受け、性格に生まれつきの(実際は生まれる前から始まる)側面がある理由です。
この聖なる(Holy)~はタイプごとに9つではなく、複数あるタイプもあります。ただ、いくつあるかとか、どのタイプに割り付けられているかは研究者や教師により異なりますので、あまりこだわっても意味がありません。
それぞれ、説明がないと理解できないのですが(説明読んでもわからない部分もあるでしょう)、マイメリ氏が使っている単語を羅列しておきます。
Love(9), Perfection(1), Will(2), freedom(2), Law(3), Harmony(3), Hope(3), Origin(4), Omniscience(5), Transparency(5), Strength(6), Faith(6), Work(7), Plan(7), Wisdom(7), Truth(8)
多分これ以上あるでしょう。これが我々の本然、ビーイングネスの見え方、捉え方、言葉で描写する表現です。もちろん、状態が先であり、言葉を理解するのはずっと後ですが、状態を感覚で感じた経験をコピーして覚えておいて、言葉を理解するようになってからその感覚に近い言葉で描写したものです。
これが、私の知識を一繋がりに整理してくれたポイントです。古今東西、哲学からスピリチュアリティの達人たちが目指せと言っていることが、実は同じことであるというのがよくわかりました。彼らが言ってきたのは、自分の本然へ戻れという導きです。
愛(love)が全ての問題を解決するのは、真の愛はビーイングネスの一方向からの見方だからです。信じれば(faith)救われる、信じれば達成できる、信じれば現実化するというのは信じることがビーイングの一面だからです。それゆえ、本当の信心をもつ教徒は、様々な宗教で奇跡を起こしました。仏教の全てが生まれる空の概念(transparency)が、タイプ5のビーイングの見え方であり、我々の素の状態です。
単語の羅列に抜けているものがあり、これに絶対幸福という言葉を付け加えれば、中村天風師が言っていることも、レスター・レビンソン博士が言っていたことも全部繋がります。もちろん既存の宗教や引き寄せや成功哲学、禅やヨガなどの精神修養的な教えまで、全部繋がります。
この聖なる~がどのように性格タイプとして固定されていくかは、当サイトはエニアグラムのサイトではないため割愛します。
ここからリリース、手放しの話です。
まず、人間(その他の存在を含め)の本然・大元であるビーイングネスの元々の状態や能力はどんなものであるかを理解するために役立ちます。これら単語の羅刹全部の特徴を兼ね備えた状態であり、集中し、幸福で自由な状態です。この状態をイメージするために役立ちます。
レスター博士の6ステップのステップ1は、3欲求よりも静安(imperturbability)を求めよです。レスターの物語が示唆している通り、この静安も我々本然の状態です。空に近いものです。博士はタイプ5でしたから、この捉え方をしたと考えられます。
ラリー・クレーン氏は「手放したい?」と単純に尋ねるより、「求めたいか?それとも持ちたい(なりたい・したい)か?」と尋ねて「持ちたい!」を選ばせることにより、「手放したい!」を実感させています。これはステップ1を応用したものです。
手放すと決めるとき、いつでもステップ1を思い出してください。制御欲求、コントロール欲求、安全欲求よりも、静安、つまり何者にも心を乱されず(harmony)自由で(freedom)、すべてを知り(omniscience)、意図(will)に基づき全てが展開していき(Plan)、それは自分がもとにあるから(origin)という状態、言い換えればビーイングネスの状態、どちらが良いのか考えてください。欲求かビーイングネスの状態へ戻るか選択してください。
欲求の手放しごとに、この大元の状態、ビーイングネスへ戻るという決意を重ねることができます。戻るという欲求が強ければ、手放しは簡単になります。静安に戻りたいという欲求以外の欲求は、全てエゴの欲求です。我々のエゴ・自我はビーイングネスを覆い隠すようにちり積もった制限の集まりです。静安へ戻るという決意は、結局エゴを手放し、エゴの欲求を開放するということです。