本サイトではリリースに関するものとしてセドナメソッドやリリーステクニックの情報を紹介しています。しかし、その内容を新しい規律としないように注意しましょう。

紹介する解放の手順や、それにまつわる情報は、私達が自由に近づくためのものです。自由とは制限がないことです。

ところが、こうした情報を規律にしてしまっては自由が制限されるという、本来の目的の逆方向へ向かうことになります。

たとえば、欲求の解放のテクニックがあります。リリースする対象を「承認・コントロール・安全」の3つ、もしくは「分離」を加えて4つの欲求と見なし開放する方法です。思考や感情よりも大きくまとめて開放できると、レスター博士が教えていました。それに基づいています。

この解放の手順があるからといっても、「欲を持ってはいけない」、「欲求しちゃだめだ」と自分に規律を課す必要はありません。それは新しい制限です。

もし、「欲求はいけない」、「欲求してはだめだ」という自分のモラルを抱えてしまっては、今度は今までの欲求を思い出せなくなります。なぜなら、それを嫌うからです。嫌うものは思い出しづらくなります。嫌なものだから、我々は無意識に沈めて思い出せなくするのです。

欲求が欠乏だからだめだという知識があるからと言って、何かを望んでいけないわけでありません。開放するにつれ小さくなるにせよ、望んで良いのです。のどが渇けば、水が欲しくなります。砂漠にでもいない限り、水は簡単に手に入ります。欲求は欠乏ですが、自分がそれを満たせるの分かっているのであれば、すぐに行動して満たすことができます。

できないこと、実現方法がわからない欲望、そうしたものは満たすことができずに「欠乏」となるのです。私達がより良い生存状態を満たすために今やることへの動機になる欲であれば、問題ありません。そうでなければ、6ステップの最初のステップ、「欲求よりも静穏を望むと決める」というのも欠乏となってしまいます。

できない欲求、達成できない欲求は、気づいたら開放します。それだけです。できるものは勇気のレベル以上でさっさと片付けてしまいましょう。

がんじがらめになったとき

もし、自分に課した規律にがんじがらめになっていると気づいたら(もしくは、このページを読んだら)、試してもらえる方法があります。以前に紹介した方法の応用です。

一人になれる環境、安全安心な環境で、自分の考えや思い、感情と感覚を暴走させましょう。以前は、一つ一つ開放していくのでは開放しきれない状況で、元になっている制限を見つけるための方法として紹介しました。

安全な場所で、いわば「バカ」や「気違い」になり、思考や感情、優越感、劣等感、罪悪感、偏見、欲求を何でも言葉にして、感じて下さい。遠慮はいりません。冷静にやっていたのでは、自分に課した制限が外れません。性欲、支配欲、生存欲、悪意、殺意、何でも声にしましょう。これをやる間だけ、狂人になります。遠慮はいりません。これを行うとき、罵詈雑言は推奨される行為です。

声に出したり、アクションで表現しながらやるのも良いです。思考と感情だけでなく、体に繋がっている本能も暴走させられます。地団駄を踏み、手を振り上げ、顔の表情もおもむくまま表します。動作もフィードバックされ、ネジを外すのに役立ちます。

ひとつ、自分に「続ける」ことだけは強要して下さい。普段の自分の「常識」がこうした衝動を押さえ込んでいます。続けようとしなければ、途中で理性に止められます。この場合の理性は自分の理性でなく、欲求です。

難しければ、狂人を演ずる役者だと思って下さい。狂人を演じるために自分の経験を使用するのだと仮定します。

どんどん続けていくと、やがて空っぽな感覚が少しずつ広がっていきます。言葉にする悪意やネガティブが段々と少なくなり、思いつかなくなります。同じことを言い続けていてるのに、感覚が伴わなくなります。力が抜けてきます。悪い感情や感覚を表に出そうとしているのに、スカスカになってきます。たとえるなら、あなたが誰かを怒っている最中に、その人が悪いのではないと判明したときのような状況です。振り上げた拳をどうしようか迷うような気持ちがやってきます。もしくは子供のときに誰かに感情の荒ぶりを見せるために泣き叫んだのに、周りに誰もいなかったと気づいたときの状況です。または、悲しくて泣き出し、その悲しさをアピールし、誰かがずっとあやしてくれているうちに、悲しさを出そうとしているのに品切れになってしまうような気持ちです。これが止めどきです。心が空っぽになります。

この手順を開始したのは「自分」であると意識して下さい。続けると「自分」に強要すると決意して下さい。そうしたら、最後まで吐き出すことに熱中します。コントロールはあなたが持っているのです。それがわかっていれば、暴走しすぎることはありません。自分にも被害が及ぶ可能性がある危険な芸をやらせるが、事故は絶対に起きないとわかっている猛獣使いのような心境で行います。

自分が縛られていると実践すればわかります。最後までやれば、多くの制限が普段の自分をチクチクと刺激しており、チクチクするのに薄っすらと気づいているのに、気付かないふりをしていたのだと気づけます。自然とそうした制限を意識下に引っ張り出せます。

この方法自体が解放の手法でありますが、中に含まれている制限を後ほど開放したければ、声に出して録音しておきましょう。もちろん、やってもやらなくても構いません。

遊び心で

どんな解放の手順も、遊び心でやるのが重要です。

遊び心は「遊び」ではありません。ふざけながらリリースしても開放できないでしょう。効果はないでしょう。

遊び心とは切羽詰まったり、「手放してやる」と力むことではありません。「何か良さそうなことが書いてあるな。では、一つ何が起きるか試してみるか」とリラックスしながらも、興味津々で実際にやってみることです。

心の技術、古くは仏教という宗教も、「無理にでも信じろ」とは教えていないのです。もちろん、「信じれば絶対に叶う」のような強いメッセージを含んでもいません。「まあ、試してみなよ。効果なくても今までと同んなじだ。何も損はしないじゃないか。効果があったら儲けもの。それから信じても遅くないよ。」そのくらい、フレンドリーなお誘いです。

もちろん、心の技術には「信じることで効果が起きやすい」という暗示の力も大いに関係しています。だからといって、根拠も実績もない技術を使ってみるのに無理に信じる必要はありません。スタートラインでは最低限度「疑う」とか、「効果がないと信じる」というマイナスの態度がない、クリアでクリーンなゼロからのスタートで十分です。疑いやすい人はプラスマイナスゼロにする努力は必要でしょう。しかし、無理にプラスにする必要はありません。

やってみて、効果があったのなら有効性を認める。効果がなければ、自分には効果がないと認める。それで良いのです。どちらにしても、自分に強要しないでください。

(お釈迦様の教えはシンプルなのに、宗派となるにつれ規律や教義が増えてしまったと私は理解しています。複雑すぎて覚えきれないので、今では正しいやり方をお坊さんも検索して調べる時代です。"KISS - Keep it simple, sweetheart." 「愛する人よ、簡単なままにしておきましょう。」博士がよく使用した言い回しです)