日常生活で、ほんのちょっとした不快感を感じることがあると思います。いつの間にやら、忘れる小さな出来事です。

私自身、感情は体感覚、つまり自分の内部の感じ方が変化することで、それを察知します。内部の感覚は多分、神経によりある特定の筋肉に力を入れたり、その状況に応じて発生したホルモンの影響で体に力が入ったり、呼吸や血圧の上昇といったものを自分で感じ取って、「ああ、いま俺は怒っているな」とか「切れそうだ」とか感じます。

リリースの手法を何も行わずとも、軽い不快感はいつの間にやら消えています。消える過程を意識しないと言うことは、気づかない程度に少しずつ変化していると言うことです。

別の場合に、不快な出来事の後にうれしいことなんかが起きると、今度は先ほどの不快感が一気に吹っ飛んでしまいます。これは自分で意識できるわけです。

心的な原因で筋肉を緊張させたり、既に体に影響を与えているホルモンが既に働いているならば、それが解消されるまでには、ある程度の時間がかかるかもしれません。個人差があるかもしれません。

例えば、怒りを考えてみると、動物にも存在している感情です。(人間と同じように怒っているかは分かりませんが、我々と同じような現象を見せてくれるので、私たちはその動物が怒っていると認識するわけです。)怒りは、ある出来事が自分の領域を侵す、もしくは生存を脅かす可能性がある時に、その外的に対して攻撃準備を行うために、体に対して命令を出します。怒りはこのような動物的な感情だと考えられ、私たちが動物としての体に生来持っているシステムだとも考えられます。

体に対して準備させ、実際に戦闘になり体を動かし、外敵を撃破できれば、怒りのシステムは治まり、かつ体を動かしたことで、体に命じられた攻撃命令は解消されます。

私たち人間は、怒りを感じたからと言って、目の前の相手に戦闘を仕掛けるわけにはいきませんよね。一度体に攻撃命令を発令し、体を動かさないまま、命令を解除するようなものです。体は既に戦闘態勢になっているのに、一度も戦闘しないまま、命令解除されたからといって、一気に態勢を崩せないでしょう。

この体を戦闘態勢にするのがホルモンで、一度でたら、体の中で解消されるまで、ある程度時間がかかり、それには個人差があるという感じで考えればいいのでないでしょうか。まあ、医学的、生体反応的に正しいかは素人なので分かりません。

逆に、うれしいときにハッピーに感じさせてくれるホルモンもあるわけです。こちらの方が、感じさせる度合いが強いため、不快な感情を感じさせる体感覚やら、ホルモンやらが残っていても、それらを感じさせずにハッピーにしてくれます。これが、イヤなことの後にうれしいことがあれば、不快な感情が吹き飛ぶ理由ですね。

リリースも大小があります。大きなリリースが起きた場合は、このうれしい出来事が起きたときと同様にハッピーモードになるため、即座に「ああ、何かリリースした」と感じられるのでしょう。

一方、たいていの場合はそうであるのですが、小さなリリースが起きた場合は、ハッピーに感じるほどには変化が起きないため、解消されたと感じるまでには、体が攻撃態勢の解除を行うまでの時間が、かかるのではないでしょうか。

では、リリースの価値が無いのではと思われますか?そうではないと私は考えます。

もし手放しで小さなリリースも行わないとしたら、1.ある出来事で不快に思う、2.体感覚が戦闘態勢になる、3.戦闘態勢が解消される頃に、また出来事に注意を向け、再度戦闘態勢に入る、を繰り返すことになります。リリースで出来事から注意が離れてしまえば、あとは体が戦闘態勢を解除してくれる時間だけ待てば良いわけです。

私のように、体感覚で感情を感じるタイプの方は、思い当たる節があると思います。リリースのテクニックを利用する際には、普段と同じように体感覚を感情のあるなしの判断として利用すると、テクニックの効果が無いように感じられることでしょう。

一通り手放しのステップを行ったら、体感覚に注目するのではなく、自分の直接の感情や、それがどんなふうに思えるかとか、その出来事に注意が固定されているかとかを、リリースの判断基準にすることをお勧めします。