シーリー博士のお金のコアブリーフの解放に関する記事へのアクセスが多いようです。実践しやすいように、全宣言を書き出しておきます。

お金に関する信念の解放文

たとえ「私が手に入れるにふさわしいと思っているほど、お金を手にすることは決してない」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「私が今より裕福になることは決してない」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「お金を手にしたり、貯めたりするのは、私には難しい」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「十分なお金を持っていないと、悪いことが起こるのではないかと心配だ」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「私が何をしようとも、お金の問題を解決するのに十分なお金は持てない」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「他の人たちが、私に必要なお金を持てないようにする」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「お金を十分に持っていたり、逆にたくさんのお金を持っていなかったりすることで、人々が私を悪く思う」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「財政的な豊かさを私は手にできない」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「私は借金から抜け出せない」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「何をやっても、私の財政状況は変わらない」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「私は愛されそうでない、つまらない人間だ」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「私には価値がない」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「私には欠陥がある、傷ものだ、不完全だ、気が狂っている」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「私は安全ではない」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「私は十分に良い存在ではない」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「私はコントロールできてなく、人々が私をやっつけようと躍起になっている」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「私は孤独だ」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「私には能力がない、私には力がない」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「私は何でもない、取るに足らない人間だ」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる
たとえ「私は絶望している」としても、私は自分自身を深く完全に愛し、受け入れる