愛着と憎悪のクリーンアップで、制限を取り切れない感じがあるのであれば、正悪のペアで試してみることをおすすめします。

レスター博士は現実化に関して、様々な教えを残しています。「抵抗がなければ何でも実現できる」というのは有名ですが、「愛着と憎悪がなければ実現できる」という表現も残しています。

愛着も憎悪もない状態は、単に無関心というわけではありません。愛憎の消去は、心を乱すこともない完全な幸福を実現するための条件です。制限のない、本来の自分に戻すために、愛着も憎悪も投げ捨てろと伝えています。

そのために好き嫌い、もしくは有利不利をペアでクリーンアップする方法がセドナメソッドでも、リリーステクニックでも利用されます。もちろん両方のペアの質問はともに、愛憎の表現のバラエティです。

特にリリーステクニックでは、「愛着と憎悪のクリーンアップ」の手順が存在しています。愛着と憎悪をそのまま思い出させ、次に好き嫌いと有利不利のペアで制限を引き出し、最後に残っているものをレモン絞りの質問と呼ばれる質問で完全に引き出します。

この手順は素晴らしく効果的ですが、完全に引き出すには時間がかかるため、活用しづらい面もあります。それはこの手順が完全なリリースを目指すために入り組んでおり、効率を重要視し構成されていないことと、100%のリリースを求めているため追求しすぎ、現時点でかんたんに認識できるレベル以上の制限をも刺激してしまうためです。

ある主題をクリーン、つまり心の奥に沈んでいる制限を現時点で再刺激を受けないように好き嫌い、有利不利の手順を使っても取り切れた感じがしなければ、愛着と憎悪の表現のバリエーションを使ってみましょう。

すでに以前の投稿でも紹介していますが、今回は自分の正悪の行動基準を見つめ直してみるペアをご紹介します。

  • 「~について、すべきことは?」
  • 「~について、すべきでないことは?」

好き嫌い、有利不利でも取り切れない感じがする場合は、この質問でかなりスッキリします。

ただ、正しいと間違っているという判断基準は、モラルや法律、規則というあるグループの中の約束事が元になっています。人はより良い生存状態を達成するためには、個人だけでは無理なため、グループに依存しています。正しいと間違っているはグループの基準であることが多く、その人の生存欲求に結びついています。

それは強力に染み込んでおり、あまりに「当たり前」なため、制限と認識することが難しいことがあります。好き嫌い、有利不利というフィルターでは制限として引っかからないことも多いのです。

そのため、愛着と憎悪をリリースする質問のペアとしては、最初に行うものではありません。少なくとも、好き嫌いと有利不利を行ってからやることを私はおすすめします。ある程度の制限を取り除いてからでないと、出てきた答えが簡単にリリースするには大きすぎる可能性や、あまりに自分にとって当たり前過ぎ、制限として認識できない可能性があります。

十分に好き嫌い、有利不利でわかりやすい制限を取り除いたら、そのテーマに関してはある程度制限が軽くなり、認識力も上がってきます。その段階に到達してから、正悪のリリースにチャレンジしましょう。それなら楽に、簡単に放り出せるでしょう。

ちなみに、正悪をリリースしたところで、好き勝手に悪いことを行い始めません。そもそも、人間の本質は十分に愛に満ちています。グループの約束事は通常、多くの人を幸せにするためのものです。行動基準の正邪をリリースするとは、取り憑かれたように「すべき!」、「やっちゃだめ!」と無意識に操られるのではなく、その時点でルールに従う、従わないを判断するようになり、その判断で心が動かないようになるということです。

「毎朝挨拶すべき」という日本では一般的な判断基準があります。自分がこの基準にとらわれていれば、挨拶できない状況で罪悪感を感じ、挨拶しない人間に腹を立てることになります。挨拶できなくても後から無礼を謝ることはできますし、自分ができないことがあるのならば、相手もできなかった理由があるかも知れません。

私は信号を守るという基準を持っています。そのおかげで、車も人も通っていない夜中の赤信号の歩道をいらつきながら待っていたことがあります。逆に信号を無視したあとに、心の中の守るべきという小さな声に対して正当化していたことがあります。馬鹿げていますよね。

古い判例ではそのような状況で歩行者の信号無視は罪にならない場合もあるというのも知っていました。道路交通法は頻繁に変わるため現在ではどのような扱いになるかは知りません。しかし、グループのルールがその活動をスムーズにするためのものであるのですから、私一人しかいない状況で、交通ルールという行動基準を守るのは意味がありません。孤島にいるようなものです。

行動基準への囚われを解き放つとは、ロボティックにルールに従うのではなく、その時点で判断できるということです。そして、自分の取った行動に対して迷ったり、後悔したりしないことです。