何らかの非難を受ける時、私達は状況により2つの反応を取ります。非難される理由がわかっている場合と、わかっていない場合です。

非難される理由がわからない場合、私達はまるで交通事故にでも巻き込まれたように、「何が起きているのかわからない」感覚に陥ります。

こうした場合の反応は、いきなりアパシー状態になり何もできなくなったり、逆に激しい怒りで我を忘れてしまったりと両極端です。心の奥底まで鋭いナイフで刺したかのような傷を負うのです。表に出る感情はいろいろとありますが、メンタル的には重症です。

メンタルコントロールやリリースの技術、瞑想などで心を落ち着かせる習慣のない方では、落ちつこうとしても、まず心を鎮めるのは難しいでしょう。こうした技術に慣れていないのにもかかわらず、一人で対処しなくてはならない場合は、状況から一時離れましょう。肉体的な運動が助けになります。激しくなくとも、景色をみながら散歩などで、まずリリースできる程度まで落ち着きましょう。

もし、このような状態が自分でなく、相手に起きたとしたら、「間違ったことを言ってしまったか?」と聞いてください。相手は自分がなぜ心が乱れているのか完全にはわかっていません。この質問をすることで、相手に自分の反応の原因がこちらの非難であったことを理解させると、急速に回復します。

もう一方の、非難される理由がわかっている場合でも、反応は激しいことがあります。感情のスケールで言えばネガティブな全段階のどれかになる可能性があります。

そして特徴的なのが、「非難される理由がある」ことが自分でわかっているため、本当に非難されることはなくても、ネガティブな状況が刺激されがちです。つまり、持続します。傷のかさっぺたや皮膚に刺さっている棘がある状態に似ています。罪悪感により刺激を受けやすい状態になります。

そのため、その心の棘が時間が経ち、抜けてしまうか、それとも誰かに実際に非難を受けるまで続くのです。「犯罪者は自分から捕まるような行動をおこす」というのが極端な例です。

皆さんが誰かのことを思いやり、「やんわりと」指摘したのにもかかわらず、相手が怒ったり、泣き出したりと負の感情を出すのは、こうした理由です。こうした場合、相手は全く気がついていないのではなく、罪悪感を感じていたのです。やんわりと指摘したため、刺さっている棘を刺激したわけです。相手の態度に驚き、優しく接しようとすれば、その棘を刺激します。傷に塩を塗ることになります。

どちらかといえば、毅然とした態度で指摘します。相手の感情が乱れても、毅然とした態度を崩さないほうが、ハンドリングはしやすいのです。言葉は優しくとも、態度は毅然としましょう。

ですから、批判は難しいのです。できるだけ、相手を非難するのはやめましょう。

最後ですが、この2つの傾向はリリースの主題として扱えます。ただし、自分に正直でないと正当化してしまい、リリースが難しいでしょう。上級者向けです。