レスター・レビンソン博士は、誰もが本当に求めているのは「幸せ」だと教えていました。その一方、「心を静かにすること」、つまり“imperturbability”「安穏(あんおん)」や「泰然自若(たいぜんじじゃく)」が、私達の本然であり、最も幸福な状態だとも解釈しました。

なんとなく意味はわかるが、すっきりと理解できない人も多いでしょう。なぜなら、一般的に幸福な人や状態をイメージすると、ウキウキしている感じで、「静か」なイメージを思いつくことはありません。

これを私の考えで説明してみます。

まず、ウキウキ、ワクワクするのは、「体」の反応です。オキシトシン、セレトニン、エンドルフィン、ドーパミンなど、「幸福ホルモン」と知られる物質が生成されると、それに応じた気分を感じます。これは私達の体に備わった機能です。私達が生きていく限り、体の反応は存在します。

一方、心を落ち着かせ、泰然自若になることは、精神的な状態です。本来の自分自身、言葉を変えれば魂とか本然とかビーイングネス(Beingness)といわれる状態に戻るということは、感情や習慣、欲求のもとである「思考」の詰まった心を停止させる必要があります。心を完全に静めれば、心に惑わされることはありません。

禅や精神統一法などの最終的な目的も、同じです。完全に心を静かにすることです。その状態では、今現在をそのまま受け入れ、今現在に意識が集中されます。

同時に体も反応します。集中により心地よさを感じさせるホルモン、ドーパミンが出るのです。続いて、体の働きが正常であれば自然とホルモンのバランスが取られます。調整のためにセレトニンが分泌され、セレトニンは幸福を肉体的に感じさせます。

ですから、体の感じる一時的な「幸福」だけでは、精神は乱れまくっている可能性がありますが、逆に心を落ち着かせ、現状に集中することは、体に「幸福感」を感じさせます。本来の私達(ビーイングネス)は、この世(現世)で活動するために心と体を使います。私達の持つ道具(体)は、心の状態と連携する仕組みになっています。その最高の状態が、「心を完全に停止」させた状態なわけです。

心を静め、完全な幸福を求めるための一手段として、リリースを活用するのです。もちろん、他の方法も利用できますし、併用も可能です。