セドナメソッドなどのリリース手法を使用すれば、思考を手放すことができます。しかし、思考の手放しを実感できない、手放す利点が理解できない方もいらっしゃるようです。

レスター・レビンソン博士の提唱する手法では、思考が最小限のリリース単位です。感情や欲求は思考の塊であると説明しています。そのため、通常は一番大きな塊である欲求のうち、代表的な3ないし4つの欲求を基本単位として解放することが勧められているわけです。

そのため、欲求を手放すことができる方は、どんどん解放するのが良いのです。

しかし、私達は時に特定の思考に固執することがあります。たいてい、そうした思考には感情やら、欲求が隠れています。

先日、Amazonのサイトを見ていたら、ヘイルさんのセドナメソッド本の和訳のレビューに、「レスター博士は無料で教えていたのに、高い金を取ってセミナーをやっている」ことを非難する内容を書き込んでいた人がいます。それに賛同する「役にたった」ボタンを押している人も結構いました。

ご存知の通り、レスター博士は初めの24年間、つまり自分で教えていた半分以上の間は「無料」で教えていました。しかしその後、有料に変えました。「人は払った文しか受け取らない」という友達の助言を受け入れたからです。そして、有料にしてからのほうが、より結果がでるようになったと伝えています。博士が弟子たちに、解放の手法を広めることを託したときには、既に有料だったわけです。彼らは、博士からの教えをセミナーや録音、書籍と言う形でまとめているのです。それを無料で提供しろと言うのでしょうか?

ちなみに、ヘイルさんのセミナーの基礎部分と、お金、人間関係を扱う特別セミナーの内容が、セドナメソッド本に全部まとめられています。日本円でたかが数千円の本に、必要十分な情報を詰め込んでいます。さらに、セミナーの冒頭部分や、リリースの具体的なやり方をYoutubeの動画で公開もしています。もちろん本人はアメリカ人ですから、英語で話しています。それでも、彼を金の亡者と判断するのでしょうか。

こんな話があります。補助を受けてただ同然で提供しているセミナーがありまして、それを本来の値段で提供したら、参加者からのクレームがとても少なかったと言うことです。無料では真面目に学ぶ人はやってきません。無料で有益なものを提供すると、クレームが増えるのは、後ろめたさを感じさせるからです。(だからきっと、このサイトは掲示板などで叩かれていると思います。)

博士が解放へ到った過程を残した「レスターの物語」で、億万長者になる話の中に「取引に携わる人全員が十分な利益を得られる」ようにしたという一節があります。弟子に託す時に、「お前たちだけは例外、犠牲を払ってでも無料でやれ」とは言わなかったでしょう。

さて、わざわざアメリカで開かれるセミナーが有料で高いからと言って、怒っているこの日本人の読者の方は、明らかにお金に関して憎悪を持っています。「セミナーで高いお金を取るのは許されない」とか、「一番最初に作った人が無料だったのだから、後から教える人も無料で教えるべきだ」という考えを持っています。それに賛同した人たちも同じです。

多分、この方はお金を欲しています。しかし、十分なお金を手にできないでしょう。お金自身や、お金を手に入れることに対して、大きな抵抗を持っています。

外から見る我々には、明らかに制限をたっぷり持っているのが明白ですが、当人にはそれが見えません。もしくは、自分から解放したくないのです。

セドナメソッド本をちゃんと読み、実行していたのであれば、そうした感情や感覚、欲求は消えているはずです。しかし、残念ながら実践はされていないようです。読んでおしまい、ちょっと試して止めるのです。(ねえ。私も含め、この本の多くの読者は最初、似たりよったりだと思います。ええ。抵抗もたっぷり持っていますからね。続かないのです。)

ちゃんと実践するようになれば、制限の感情や感覚、欲求が段々と薄くなっていく感覚がわかります。解放しきって何も残っていない、静かな心の状態に達することもできます。

しかし、時に自分の基本的な行動を決めている思考が残ってしまうことがあります。自分自身にとって、あまりに当たり前なので、気が付かない思考です。自分自身で認識できないため、解放できないのです。

思考の手放しの一例として紹介しようとしているのですが、具体例を出すのが難しいのです。こうした思考を一度解放すると、「はて、いま解放したのはなんだったっけ?」という状態になるためです。何を解放したのかさえ、忘れてしまいます。

そうですね。では、まだ残っている私自身の思考をちょっとひねり出してみましょう。意識して見つけようとしないと見つかりません。ちょっと探してみます…

ありました。何気ないことをSNSに投稿する習慣です。ある時「これを投稿しよう」と思い立つわけです。さて、なんで投稿するのでしょう。

「投稿しよう…」、いまリアルタイムで自分の心を探っています。

いくつかの欲求がありました。第一に承認欲求です。誰かに自分の意見や考えを認めてもらいたいためです。第二にコントロールの欲求です。特定のテーマについて投稿した内容が、誰か他の人に影響を与え、それで世の中を自分の思う方向へ動かしたいと言う欲求があるからです。

リリースの技術を使い始める時、簡単に手放せるのを試すため、当たり障りのない思考を解放してみるのは、良いスタートラインです。解放できることを実感できます。その後、リリースが進んでから、特定の思考を取り上げ、「なんで自分はこの思考を持っているのだろう」、「どうしてこの思考を取り入れたのだろう」と見つめてみると、裏に隠れている欲求が浮かび上がってきます。

そもそも、私達がある思考を自分に取り込むには、それなりの目的があったはずです。大抵は欲求を満たすためです。たとえ学校で習う内容であってもです。「良い成績を取るんだ(そして、先生や親に認めてもらうんだ!)」、「将来役に立つ(他の人をコントロールするために、より良い生存状態をめざすために!)」

習慣、感情や感覚、欲求は思考の塊ですが、「自分で持ち続けている」単純な思考の裏側にも、そうした塊が隠れています。

博士や他の達人達が指摘する通り、「すべての思考は制限」なのです。ですから、思考を手放すことは、制限を解放すことです。これで、思考の手放しの利点は理解できるかと思います。

ある程度リリースが進むまでは、意図して思考を取り上げる必要はありません。リリース進んでから、この「思考を見つけ出して、その裏にある欲求を確認し、解放する」方法を試してみると、とても興味深い経験ができます。何気ない考え、あたりまえなことと思える考えも、「自分が持ち続けている」理由があり、欲求であることが認識できます。