欲求は欠乏です。承認、コントロール、生存・安心が悪いものではなく、それを求めるがゆえに、「足りない」という感覚を抱くことが、諸悪の根源であると、当サイトを参照し、リリースを実行している人には、おなじみです。
しかしながら、この欠乏の感覚がわからない人もいます。理屈で説明しても、感覚的なことですので、理解するのが難しいのです。
とても簡単な方法があります。ある心の制限に気づいたら、逆に理想的な状況を想像してみてください。心がハッピーに感じる、本当に幸せな状態です。
たとえば、一時間前に上司から叱られたとします。リリース的には欲求を手放すほうがより深い開放が実現できます。では、どんな欲求(の欠乏)を持っているのでしょうか。
そこで、その場面で理想的な出来事はどんなものであったのかをイメージとして組み立ててください。ストーリーを考えてみましょう。
「上司に呼ばれる、報告書に一部ミスがあったと指摘され、修正版を出して欲しいと依頼される。そして、最近の仕事の出来を褒められる…」
このようにストーリーが展開し、自分の気持がハッピーになったら、その理想的な状態と、実際の出来事を比べてください。その差が「欠乏」です。理想から離れていると、体のどこかで感じる「マイナスのエネルギー」が欠乏です。
この場合は、「承認」されることが足りなかったわけです。
「上司に呼ばれる、報告書に一部ミスがあったと指摘される。同じようなことを繰り返していると怒られる。そこで一言冷静に謝り、心当たりのない「繰り返している」という点について、教えてもらう。上司の返事を聞くと、どうも他の人のミスを自分のものと勘違いしているようだ。それで、その点を過去の報告書を参考にしつつ、上司に確認する。すると上司は勘違いを認め謝罪した。お互いに大笑いする。」
理想の状況では、自分は状況を完全にコントロールしています。足りていない欲求は「コントロール」です。コントロールが欠乏していました。
「上司にミスを指摘される。しかし、自分には働かなくても、かなり贅沢に生活出来るだけのお金も資産もある。余裕がある。いざとなったら辞めても良い。笑顔で受け流し、何も影響を受けない。」
社会的なマイナス評価を受けない、十分すぎる生活力があり、会社にしがみつかなくても大丈夫であるというイメージが、現実の出来事に対しての理想であるなら、欠乏しているのは「安定して生活できる」という思い、安全・安心・生存の欲求です。
この「上司に叱られる」という状況に対して、「実は日本の支配している独裁者で・・・」と、現実の状況からかけ離れたストーリーも展開できます。どうしても想像出来ないというのであれば、最悪それでも構いません。しかし、できるだけ、制限の状況から遠くなりすぎない、理想的なストーリーを展開してください。映画の脚本を書こうとしているわけでなく、自分の現実に即した、現在持っている制限をはっきりと見つめるのが目的です。
自分の抱いている欠乏感をしっかり認識できれば、あとは開放して楽になるだけです。