同じ制限は繰り返して現れます。小さなものならともかく、大きな制限はリリースしても、再現します。

ヘイルさんは使い捨ての紙食器、ラリーさんはティッシュに例えました。同じもののように思えても、実際は違うものであり、取り出し続ければやがてなくなるのです。

リリースが進んでも同じことが起きます。一度無くなったはずのものが、再度ぶり返し長く続くとこもあります。

無くなったはずなのに、なぜなんでしょう。

それは、リリースが進み、今まで見ずにいた領域まで認識できるようになったからです。現れた制限の見かけは同じですが、より深く隠れていた制限です。

それらが出てくるたびに、リリースしましょう。しかし、時には制限のもたらす感情や感覚に負け、「リリースには効果がない」とか「自分は一生ネガティブなんだ」と自分を責め始めることもあるでしょう。

しかしリリースが進んでいれば、レスター博士の言う「観察する」ことができるようになっているはずです。制限に悩まされながらも、そうして制限に苦しんでいる自分自身をどこかで冷静に観察しているはずです。

そのうちに、ふと「あらゆる思考が制限である」という言葉を思い出すでしょう。

自分の苦しんでいる姿を見て、その根本の考えが何なのかを自覚できます。今までも自覚していたはずなのです。しかし今までは、「レスター博士がそういっているから」とか、「どこそこのサイトで紹介されていたから」という知識のレベルで「知っていた」に過ぎなかったのです。突然、そうした知識を自分に対し本気で当てはめ、「ああ、確かにこの思考のせいで苦しみ続けている」と自覚できるのです。

すると、自動的に「悩み続けるのは馬鹿らしい」と思えるようになり、無意識に「持ち続けて苦しみ続けるのか、開放して楽になるのか」という判断を行います。もちろん、既に自分が思考を解放でき、楽になる方が良いとわかっていますので、「開放する」と決めるのです。

こうした判断は自動的で素早く行われますので、元になっている思考を本当に自覚した時点で、すっと楽になります。

同じ苦しみを繰り返し感じているなら、その事実を認めましょう。苦しんでいる自分を認めましょう。繰り返していることも認めましょう。同じ考えが根本に横たわっていることも認めましょう。

本当に「当たり前」だと自分が考えている思考も、「あたりまえ」という思いが妨害して認められないのです。しかし、単なる思考に過ぎません。どんな「当然」なことや「常識」も思考に過ぎません。当然だとか常識だとか決めつけ、守っているのは「愛着」です。それも制限です。

手放してください。楽になりましょう。単純なことです。全ての思考は制限です。基本的な部分を応用するだけです。元になっている思考を見つけ出し、手放しましょう。

手放せば、繰り返して起きる制限による苦しみから開放されます。