レスター博士の6ステップの最後、「リリースするほど軽く、幸福になります。」にならない場合、一番最初のステップを確認してみましょう。
最初のステップは、「欲求よりも、自由・不動を求めよう」というものです。
自由・不動とは、もちろん完全な自由、完全な幸福、自分が全知全能である状態です。不動ですので、心が乱されることも全くなく、何をするのもしないのも自由な状態です。
つまり、「究極に幸せ」な状態です。
私の経験を多少披露します。リリースはゆっくりですが着実に進んでいます。社会人になってからの経験を元にした制限が当初は多かったのですが、最近出てくるのは幼年期から青年期に出来上がった制限が多いようです。段々と根深いものが見つかってきます。
根本的でなかなか取りきれないことも多く、隠れていたエネルギーが中途半端に刺激され、気分が荒々しくなったままになることもあります。気が付かないうちに、取りきれなかった感情が不快な感情のまま残ることもあります。そのため、リリースする対象を見つける割には、幸福感が少なくなりました。
そして、生活上ではそうしたネガティブさに引っ張られ、制限を知らず間に認めてしまいがちになりました。「節約しなくちゃ、あれをやらなきゃ、これもしなきゃ…」
その一方、自分というエゴの感覚は薄れていいるのはわかっています。自分が存在しているというよりは、この世界の動きの一部を体の一部から捉えている、体から捉え続けている期間を「生きている」と表現するのだろうとも、感じています。嫌いな人の幸福を祈るという記事中でも紹介しましたが、全ての人が幸福であれば、誰も他の人を抑圧したり、傷つけたりしません。他の人に親切で優しく、全ての人が人間的に生きられるでしょう。そうした途上に私達はいます。
そうして、幸福感を持続させることがなくなりながらも、「世界中の人が幸福である」状況を想像すると、その時だけは嬉しく感じられます。自分自身の体も、完全なものにできるという確信があります。経済的にも向上できる感覚を持っています。
こんな状況ですので、まだ特定の制限があることに気づき、自分に許可を与えました。「思いっきり幸せで良いんだ。贅沢しても良いんだ。有り余るお金を手にしても良いんだ。…」
結局、自分でどこか制限をかけているのです。ですから制限を外すため、自分に許可を与えたのです。それが数日前です。
自分がOKだという感覚は、依然続いています。そこで、今日はその感覚に一時間ほど集中することにしました。すると、幸福感が蘇ってきました。
その幸福感に対して止めようとする感覚、つまり抵抗がありました。それをリリースすると、より軽く、より幸福になりました。すぐに、ステップの6つ目が起きているのに気が付きました。
この時、自分に対し「何で、今までリリースしても軽く、幸福にならなかったのだろう?」と質問しました。すぐに答えに気が付きました。肝心の第一ステップが抜けていたのです。
第一ステップは、シンプルに考えれば完全な幸せ、完全な自由を求めるということです。なんにでもなれ、何でも手に入れ、何でも行えることです。文字通り、制限のないことです。そして完全にハッピーなことです。
これを第一ステップの「不動」、書籍ですと「不動心」とか書いてあるので心を鎮めようとなんて努力してはいけないのです。「不動」とは逆に、幸福であり、幸福を突き抜けたくらいの状態なわけですから。
思いっきり自由で、思いっきりハッピーになりたいという思いがなければ、たとえ制限を手放しても、「軽く」なることはありませんし、「より幸福」に感じることもできません。
まさに、第一のステップです。逆に言えば、リリースしたのに以前より「軽く幸福」になったと感じられないのであれば、この第一のステップが外れているのです。リリース時により幸福で、より軽く感じるかどうかは、第一のステップがきちんとできているかどうかの、試金石なのです。
ですから、完全にリリース出来た「スーパー」な自分を想像し、ワクワクしてください。完全なリリースを達成した時の自分は完全であると信じてください。それからリリースに取り掛かりましょう。そうすれば、リリースすればするほど、幸せで気分も軽くなっていく自覚が持てます。