これは、2012年2月25日にフォーラムで公開したものです。感情の手放しについてです。
CDコースを久しぶりに聞いて、気が付きました。
9つの感情の解放の手順です。
書籍版のできる?したい?いつの質問を使う方法より、最近の「迎入れる」を主体とした方法を取り入れて、少し表現が変わっているようです。3段階ごとに、いくつかの表現を書き留めましたが、これが全てではありません。話し言葉ですから、柔軟に使われています。もちろん、各段階で一つだけヘイル氏は問いかけています。全部を毎回聞いているのではありません。また、1か2のステップが抜けることもあります。
1.その出来事や感情に注意を向かわせます。
この感情に結びついた出来事を思い出してください。 出来るだけ、その感情に心を開いてみましょう。 内側に浮かび上がってくる感情に注意しましょう。 この時点の感情がどんなものであれ、受け入れましょう。
2.受け入れます。
その感情を思い出させる映像や音、感覚、思考を出来るだけ、向かい入れることはできますか? その感情と結びついた映像、音、感覚、思考にできるだけ、心を開けますか? どんな体の感覚も受け入れましょう。心に浮かび上がってくるどんな映像、どんな音も受け入れましょう。 記憶の中の、映像、音、感覚を迎い入れましょう
3.「3ステップ」を行います。 その感情を手放せますか?手放したいですか?いつ?
良い感情の、勇気と受容では、手放すという表現を変えています。やはり、良い感情を手放すという表現は、英語でも不自然さが残るからでしょう。
ⅰ 今、ここにある、意識できるエネルギーを受け入れましょう。意識上のエネルギーを受け入れます。 意識に上がってきた、その感情のエネルギーを受け入れましょう。 そのエネルギーを受け入れましょう。ここに、あるがままにしましょう。 その感情のエネルギーを受けれましょう。
ⅱ そのエネルギーと共に浮かび上がってくる、映像、音、感覚を受け入れます。
ⅲ そのエネルギーをできるだけ、受け入れてみましょう。受け入れたいですか?いつ? 本当に受け入れてみましょう。ほんとうに心を開いてみましょう。開きたいですか?いつ? できるだけ完全に、そのエネルギーを、取り入れてみましょう。取り入れたいですか?いつ?
最後の平和(平安)は完全に違った言い回しです。5th wayの言い方です。”peace"を「平和」と訳しておきますが、各自、ぴったりする言い回しで、置き換えてください。
平和をただ考えてみましょう。 その平和の中でだた、安らぎましょう。探していたものは、いつも今、ここに存在していました。 できるだけ、平和と共に浮かび上がってくる、映像、音、感覚を受け入れましょう。 受け入れられますか?受け入れたいですか?いつ? もう一度、焦点を当てましょう。 あなたの中心にある、平和のエネルギー、すでに今、ここに存在しているエネルギー、意識を迎い入れましょう。 そのエネルギーと共に浮かび上がる、感覚、映像、音を受け入れましょう。 そのエネルギーをできるだけ、受け入れられますか?受け入れたいですか?いつ?
もう一度、リリースしましょう。 そのエネルギーを受け入れましょう。それが平和です。本来の状態です。 できるだけ、感覚、映像、音に心を開きます。 受け入れられますか?迎い入れられますか?したいですか?いつ?
ただ、安らいでみましょう。あなた自身である、平和の状態、平和の意識としてです。
安らぎながら、段々と意識を外側へ向けていきましょう。今まで知らなくても、望めばいつでも自分が何者かを知ることが出来る準備ができていたことに、心を開きましょう。
初心者のかたも増えているようですの、一応解説しておきます。
セドナメソッド、それと兄弟関係のリリーステクニックでは、現在CDコースと生セミナー、オンラインセミナーの形態で教えられています。(アメリカでの話です。)
セドナメソッドのCDコースは、生セミナーの録音をメインに構成されています。
書籍は、CDコースの内容を元に構成されています。更に、日本語版は書籍の古い版を翻訳したものです。(新翻訳版は、第2版を元にしているようです。)
ですから、内容が古い順に並べると、セドナメソッドでは、
日本語版書籍(旧版) < 日本語版(新翻訳版) ≦ 英語版書籍 < CDコース(オンラインコース) < 生セミナー = オンラインセミナー
となります。
ヘイル氏は、一方のリリーステクニックのラリー氏に比べると、内容を改訂する事が多いです。新しいテクニックも、比較的開発しています。(新しいといっても、最近発表しているものは、原点であるレスター博士のテクニックに戻ってきているようです。)
感情のリリースは、基本的な手法です。そのやり方を、わかりやすく、構成し直し、平和を最終的に到達すべき状態として、わかりやすくしたのでしょう。平和の状態が、我々本来の状態であるのです。
言い回しも、ロボットのように、杓子定規にきっちりと使っているわけでなく、適宜表現を変えています。
ですから、自分で自分自身で利用するとき、他の人に行なってあげる時、あまりきちきちに同じように話そうとするのでなく、意味合いが外れない程度なら多少変化しても良いのだと、気軽に使えばいいのです。