先日、私のIDを検索している人が増えているのに気づき、ちょっと調べました。

そうしたら、LinuxというOSの一派、Ubuntuのフォーラムの参加者の一人が、他の参加者の個人BBSで私の悪口を書いていたのです。この方は過去にこれもLinuxの一派であるFedoraの非公式フォーラムで私のUbuntuフォーラムでの書き込みが初心者向きでないなど、罵詈雑言を言いはなったため、反論したら、Fedoraフォーラムへはこなくなった人でした。

Ubuntuフォーラムでは、時々、質問者に辛辣な言葉を投げかけながらも、自分の気に入った人には優しいという、二面性をもって回答されていたようです。

その人が、過去のFedoraフォーラムの出来事を再び、彼の都合の良いように内容をねじ曲げ書き込んでいたので、とりあえず反論しておきました。

さて、これは夜の寝る時間の前でしたが、すっかり頭に血が上り、寝付けなくなりました。そこで、横になりながら、基本のリリースの質問を行い、30分程度で寝てしまったようです。リリーステクニックを使わなかったら、数時間は眠れなかったでしょう。

翌日、多少値不足感はありましたが、仕事に出かけ、その日は仕事と仕事の間に時間が取れたため、公園で昨日の出来事を完全に処理するため、もう少しメソッドを使うことにしました。

基本の質問を行いますが、そこで気づいたのは、何か黒くてとても重く、堅い感情の固まり、しこりが太陽神経業のあたりに感じられたまま、ずーと残ってしまいました。

私は、感情を体感覚で判断しているようです。胃のあたり、頭の裏側、のど、口の周りなどの感覚が感情と結びついているようです。

今回も、どうも意図せず押さえつけてしまった怒りの部分が、解放させずに残っているようでした。

そこで、ふと解放の第3の方法を思い出しました。「感情に飛び込む」という方法です。そのときは詳細なやり方は忘れてしまっていました。本も持ち合わせていませんでした。まあ、もともと厳密な手順が決められているものではありませんですから、とりあえずやってみることにしました。

ああ、この方法は日本語版では訳されていません。とても、重要な解放の道具なのですが、残念です。簡単に方法を説明すると、目を閉じて、リラックスし、自分自身を感情の中心核へ飛び込ませるという方法です。核に到着すると、そこは何もなく、ただ単に平和などがあるという状態に行き着き、あたかもシャボン玉に指をつっこんだように、その感情は消え去ってしまうと言う方法です。

公園のベンチに腰掛けていましたので、目をつぶり、心を落ち着かせて、感情に集中し、その中へ意識を飛び込ませました。いろいろな映像が浮かび上がりました。そのときに、直感的に「これは関係ない」とわかるものもありました。そんなときは、「横道にそれているぞ、この感情のもっと中に入り込むんだ」と修正し、どんどん探ってみました。イメージは自分がその胃のあたりに感じる感情の違和感へ入っていき、相対的にその違和感が自分の大きさに近づいていくという感じでした。

その後、さらに2つの映像が浮かんで、そのままその感情へすっぽりと入ったとき、完全に今まで小さくて堅いように感じられたものの中に完全に飛び込んだ、感覚が起きました。

そこには本に書かれていたとおりに「全く何もない」のです。何もないので空間さえ認識できません。ただ単に「何もない」状態でした。その中に入ったのは分かるのにです。

おもわず、「これはおもしろい、本当になんにもないぞ」と思いました。その後、すぐに目を開けて、もとの感情を感じてみようと思いましたが、きれいさっぱり消え去っていました。効果はてきめんです。

この成功に気が良くなり、公園のベンチで一人、にやけていました。「これはすごい道具を手に入れた。w」

しかも本日、仕事で仲違いをした同僚に、仕事中にばったりあったのですが、(私の仕事は、仕事中に他の同僚に会うことは希なのです)、こちらからは仲違い以前のように、自然と笑顔で挨拶したら、彼も何もなかったように満面の笑みで答えて、普通に会話を行っていました。

この方法は、思わず過去の別の重荷も時はなってくれたようです。

いま、30分ほど検索したら、誰もこの部分を翻訳されていらっしゃらないようです。前にどこかで、読んだ覚えがあったのですが。(たしかMindTechさんのページだったんですが。なぜが、ブックマークしておいたのが迷子になってしまい、更に検索してもみつからなくなってしまいました)

皆さんにも、知ってもらいたいため、このパートだけ先に訳そうかと思っています。ここのパートです。少しずつ訳しますので、あとでチェックしてみてください。(追記:テクニック部分は訳し終えました)