リリースは現時点で感じている「感覚」を開放するものです。例え、過去の出来事を取り扱う場合でもです。

たった今、感じているものは何でしょうか?特定の感情を探す必要はありません。たった今、体で感じているのは何でしょう?

はっきりと感情に起因する感覚だと分かるものもあります。逆に、特定の制限だとはわからないものもあるでしょう。肉体的な痛みかも知れません。かまいません。何でも、現時点で感じているものを手放しましょう。

リリースの質問で、過去の出来事が思い浮かぶことがあります。それもかまいません。浮かんだままにし、今何を感じているか思い出してみましょう。その時点で感じただろう「感覚」を作り出さないようにしましょう。素直に「今何を感じているか」を探ります。得てして、その状況にピッタリと一致する感覚を探そうとしがちですが、あくまでもその状況を思い浮かべながら、今の時点で感じている感覚を離します。

理論的、感情的に合わない感情や感覚こそ、見つけづらくなっている感覚の場合もあるのです。あなたは自分が優しい人間で、他の人がいじめられている場面を思い出すとき、「あの時は、かわいそうだった」、「助けられなくて、ごめんなさい」などと悲しみや無気力を感じるかも知れません。助けられなかったことに対して、罪悪感を感じているかも知れません。いいでしょう。感じているものをリリースしましょう。

それでも、スッキリしなかったら、解放できた感じがしなかったら、素直に「今何を感じているか」に焦点を合わせてください。自分はこんな人間だというエゴに邪魔され、素直に認めていない感覚があるのです。ありのままに感じてみましょう。

先の例の場合なら、「いじめられて当然じゃん」という冷徹な感覚や、自分がいじめられるのを避けるために、いじめっ子の注意をいじめられていた子に向けるようなことをしているかも知れません。100回の同じような場面のうち、たった一回、自分もいじめに参加した時の敵対心が見つかるかも知れません。

過去を深く探るのは有益です。しかし、難しくもあります。自分が見たくないと目をそらせた無意識は、エゴでもあります。エゴとして抱いている自己イメージは、見たくないものの集合体であるがゆえに、簡単には答えを出してくれません。

エゴは過去の塊です。過去がエゴを作っています。意識の力がさほど発揮できていない状態で、意識を過去に向けようとすれば、注意が散漫になり、引きずりだすのが困難です。

ですから、現在、たった今の感覚に集中するのです。例え今浮かんでいるのが過去の出来事であったとしても、「今の感覚はなんだろう」と集中するのです。過去を探れば、意識を撹乱されるのであれば、今の感覚に集中しましょう。たった今は、無意識ではありません。エゴでもありません。だって、過去ではありませんからね。現在に集中すればするほど、過去から切り離されます。

そして、今現在に意識を集中すればするほど、本来の自分に近づくのです。古今東西、能力開発は集中力に関連付けられています。多分これは偶然ではありません。

私の個人的な考えですが、レスター博士の言っている不変・静安の状態とは、高度に集中された状態であろうと考えています。例えば禅を極めた人、その他瞑想の達人は高度な集中状態を達成できている人たちです。制限は過去の思考や経験、解釈ですから、現時点に意識を100%持ってこれれば、制限は全くない状態になります。

かつて、当サイトで紹介したMITのビデオで、左脳が脳溢血になった女性学者の講演を紹介しました。左脳の機能がやられ、右脳だけになった時、言葉は失われ、全感覚が同時に感じられ、非常な幸福を感じたそうです。

そして皆さんも、何かに夢中になっている時、多幸感を感じたことがあるでしょう。

催眠や薬物により、特殊な状態になり、エゴの介入を抑え、特定の問題を解消することは可能でしょう。しかし、リリースは軽い解決方法です。お手軽な手法です。デープな方法とは一線を引きましょう。

キーになるのは、現時点で感じていることです。例え、過去を探る場合でも、リリースの手法を使用するときは、過去に多分感じていただろう推測や、その状況にあっている感情を探すのではなく、「今、この時点で感じていること」を捉え、認め、感じ、そして開放する決断をしましょう。難しくありません。現時点に集中し、今感じていることを取り扱いましょう。