ヘイル氏の言う、「心を使う」とは、どういうことでしょうか? 心を無心にすることでしょうか?

もし、言葉がエゴであるなら、頭の中で何かを考えてはいけないのでしょうか?何も考えず、答えを見つけるのでしょうか?

いいえ。たぶんそれは違います。ヘイル氏も言葉を濁す部分ではあります。私は、明確に答えを見つけることができましたので、個人的な考えでよろしければ、参考にしてください。

まず、いくら言葉がエゴの一部だとしても、そのエゴをコントロールするために、言葉を使うのは間違いではありません。もちろん、言葉を使わないにこしたことはありませんが、それを初めからやろうとすると、リリースはとても複雑で難しいものとなってしまいます。

逆に、初心者であれば言葉を使ってください。言葉を使い、質問をするのです。ただし、言葉による答えを得ようとしないでください。

では、考えてはいけないとは、どういうことでしょうか?何かを見つけたり、判断するには、考えることが必要ではないでしょうか?

この場合の考えるとは、頭の中で答えを出すために思考することです。議論することです。

最初に、言葉を使って質問します。たとえば、「手放せますか?」

頭を使うとは、「これは重大なできごとだ。そう簡単に忘れられない。」とか、「前に似たようなものがあったから、できるだろう。」と、正に考えることです。そうではなく、心で感じる、気分の変化、重苦しさや楽な感じ、不幸や幸福な感じに注目します。

自分に問いかけます。「手放せるかな?」、思考を勧めずに、心の変化、それによってもたらされる、身体的な変化に注目してください。

心が一瞬ぎゅっとなり、硬いものがどーんと出たら、それは抵抗です。心、この時点ではエゴが「No」と言っているのです。そうしたら、答えは、Noです。あなたは、Noという答えを見つけたことで、自分が抵抗を持っており、それがあなたを束縛していたことに気づき、自然と手放す決意をします。

感覚がちょっと軽くなり、気分が楽になったら、その答えは「Yes」です。明らかに、質問をし、注意を向けた時点で、何かを開放しました。リリースしたのです。

全然変化がない、全く変わらないこともあります。でもそれは、たぶん習慣となった抵抗です。抵抗が大きすぎてアパシー、無気力になっているのです。今開放しようとしている分野では、あなたはアパシーを抱いていることに気づくのです。(大抵の場合、「何もないなー」と見過ごされます。)感覚を広げ、そのアパシーを感じ取ってみると、動かない感じを捉えることができるのです。大きくて、隠れていた「No」なのです。

逆に、大きく解放でき、なんとなく幸せな感じが浮かんできたら、もちろんビッグ「Yes」です。

必要なのは、どこに注意を向けるかと、自分に起きた変化をそのまま受け入れる素直さです。本当に、難しくはないですよ。シンプルです。そのまま、受け入れるだけです。起きていることを認めるだけです。

セドナメソッドもリリーステクニックも、同じなのです。あなたが何かを考え、思い浮かべた時に起きる変化、それこそレスター博士の言った「エゴの衝動」です。

そして、あなたもリリースできるようになります。生まれながらの能力であると、納得できるでしょう。