他の人に認められたいという思いは、苦労を呼び寄せます。

日本では特に成果より、その過程が大事であり、努力はそれだけで褒められることがあります。もし、あなたが努力しており、しかし残念ながら十分な結果を出せていないとしましょう。あなたの上司が「努力しても仕方がないんだよ。仕事は結果だよ。」とでもあなたを叱責したらあなたは「パワーハラスメントだ」と憤るかも知れません。逆に、「会社のために苦労してくれてありがとう。」と声をかけられれば、あなたは嬉しく思います。

モチベーション的には正しい? 本当でしょうか??

ここに苦労しているが結果を出せない部下がいます。もう一人の部下は苦労していませんが、結果を出している社員がいます。上司を務めているあなたが、苦労をしていることだけを労えば、結果を出せていなくても苦労している社員のモチベーションは上がりますが、結果を出しているけれど苦労をしていない社員のモチベーションは下がります。グループの能力/傾向はそこに所属している人の総計ですから、あなたの部課・会社は段々と「苦労している割には結果が出ない」ことになっていきます。

もし、あなたの気分を害したならすいません。でも、それもリリースの良い機会です。ぜひ、「努力が大切だ」という固定観念をリリースしてください。(もし、逆に「当然のことだ。私はちゃんと結果を出している」と自慢されている方も手放しましょう。プライドです。)

しかしながら、この手の「結果より努力を褒め称える」傾向は、私達日本人社会にはびこっています。それを美徳であるとさえ考えています。

そして、「努力すること」で褒められてきた人は、褒められたいがゆえに努力する方向へと進んでいくのです。レスター博士は「努力はエゴである」と言いました。まさにその状況です。

努力とは、物理的、精神的に意図的に動きまわることです。ここにモーターやエンジンがあります。軸は回転しています。でも他の部品はついていません。ですから、軸は虚しく空回りしているだけです。車やおもちゃを動かすという結果にはつながっていません。「おお、よしよし。頑張って回っているね。えらい、えらい。」それが努力を賞賛することです。

私は心臓病を患うことで、これを実感しました。健康が「普通」の状態です。病気とは苦労であり、いままで苦労なくこなしていた物事を、今度は努力してなし得ることです。「病気でも頑張っていて偉い」、「病気にも関わらず人一倍の努力をしている」こうした世の中では、承認欲求のため病気になり、病気の状態で行動することで更に努力を認めさせたいという、馬鹿げた状態が当然とされてしまいがちです。

本来、私達は努力しなくても物事成し遂げられます。しかし、エゴを持っているためなし得るための努力を積み重ねます。このエゴもなかなか簡単に全部捨て去ることができないようです。でも、できるだけ努力を小さくできるようにしたくありませんか?

それならば、エゴを小さくしましょう。少しずつでも捨て去りましょう。

他の人から賞賛されたい、愛されたい、認められたい、褒められたい、肯定されたい。そうした承認欲求を手放しましょう。努力や苦労をする必要はないこと、それに対する愛着を捨てましょう。

楽に、幸せに。苦労なく自由に。それがリリースの目的です。なぜ、いばらの道を自分から選ぶ必要があるのでしょう。

楽に、目的地まで一直線に進める道を選びましょう。