「あの子可愛い」、「素敵な人…」、「なんてかっこいいのかしら」、「び、美人だ。」

そして胸がキュン♡となります。「これは…恋?…それとも愛?」、「新しいラブストーリーの始まりかしら?」

 そこにこのむさいおじさんがやってきて一言。「いいえ。ただの愛着ですよ。」

残酷で、情緒の欠片もない言い方です。でも、仕方がありません。真実です。

既にリリースをだいぶ使っておられる方なら、笑って同意していただけるでしょう。

その「キュン♡」を良く観察してください。

「絶対、恋人にしてやる」、「独占してやる」、「でぇへへ、一発やりたいぜ」、「あん、めちゃくちゃにして欲しい」、「俺一人の者にしたい」、「他の人を見ないで、他の人にさわらないで、他の人と会話しないで、私だけのものでいて」

隠れているでしょう。欲求。思い通りにしたいんでしょう。そう、コントロール欲求です。

「あんな美人なかみさんなら、他の男に自慢できる。」、「彼が彼氏なら、友達に自慢できる。」、「優しくされたい」、「愛されたい」、「特別に扱われたい」

ほらほら、承認欲求です。

ちょくちょく、このサイトで紹介しているレスター博士の言っている本当の愛とは「受け入れること」です。

この本当の意味で、私達は目の前の100人や、この世の中の人全員を「受け入れる」ことができます。完全に受け入れてしまえば、制限により引き起こされる嫌な感情、避けたい感覚は感じません。

つまり、愛することのできる人数には限りはありません。まさに広く愛することができます。

しかしです。特定の一人、もしくは数名へ「愛」の名前のもとに固着してしまえば、あなたは「キュン」とする可愛い感覚から、ドロドロした感情まで、あらゆる制限からの反応を受けることになります。

あなたは、世界中の人を愛して、それでも特定の人と「結婚」という社会的システムで結ばれることもできますし、「恋人」という社会的風習で結び付くこともできます。

あなたとパートナーが、人に対する愛着も憎悪も持たず、それでもお互いをパートナーとして認め合う関係であれば、ジェラシーも持ちませんし、お互いを縛りあうことも、相手の言動から影響を受けることも、相手の言動を避難することもないことに気が付きましたか。

理想的過ぎますか?

そうですね。全くその通り。なにせ、パートナーの状態に対して期待する余り、欲求を持ってしまいそうです。でも、パートナーの状態はどうであれ、私達自身の状態は私達が責任を持ち、私達がコントロールしています。私たちの思っている通りにです。

ですから、私たちはこうした感覚を放り出せるのです。

さて、そのためには、こうした欲求を作り出している考えを見つけ出してください。私たちは、信じられないくらい漫画、ドラマ、雑誌、そして友人から「こうあるべき」、「これが理想」、「ドラマちっくな展開」、「普通の恋愛はこうだ」、「現実はこうだ」というアイデアを受け入れています。同じ受け入れるでも、これらは心のなかに溜まっていき、やがて無意識にあなたを制限するようになります。

ですから、胸が「キュン♡」した時も、チェックしてください。「これは、何の感覚?何の欲求から来ているのかな?どんな思考が元にあるんだろう?」