リリースは引き算です。新しい自己イメージを付け加えることではありません。

時々失敗したなと反省することがあります。(引き伸ばしはしませんよ。 ;) )

自分がある程度リリースができるようになると、突然バタリとリリースできなくなるのです。「これは抵抗だ」と解放しようとしても、離せなくなります。色々とやってみるけどダメ。

私と同様に、こんなリリースの波を経験している人は多いと思います。

つい先日、何でなのか見つけました。それは、「自分はリリースできる」というプライドの自己イメージを持ってしまうからです。自分に対するイメージも新しい「制限」に過ぎません。

イメージトレーニングという言葉もありますし、なにか重要なことを行う前に、それを心の中で何度か繰り返してみるのは重要です。しかし、自分は「こういう人間だ」というレッテルを張ることは、それはネガティブはもちろん、ポジティブなものであっても、新しい制限を付け加えているに過ぎません。新しいエゴなのです。

自分がリリースできるというイメージや、この方法ならリリースできるというのは、制限です。とすると、セドナメソッドやリリーステクニック、さらにレスター博士のすすめている方法もそうなのでしょうか?

はい。その考えを受け入れてしまえば制限です。でも、制限を上手く利用しているのです。ダイヤモンドを磨くためにダイヤモンドの粉を使います。それと同様、エゴを削り落とすためにエゴを利用しているのです。ですから、最終的にはレスター的なものさえ、捨てることになるでしょう。なにせ、「全ての思考は制限である」というのはレスター博士の言葉ですからね。

最初の視点に戻りましょう。リリースできるというプライドの自己イメージです。これを持つと、素直にリリースすることが難しくなります。エゴを削ろうとしているのに、新しいエゴの壁をぺたりと貼り付けるようなものです。

純粋にリリースできるという思いは、リリースに必要です。それがなくてはリリースはできません。しかし、それをプライドにしてしまうと、このプライドは他の人に指摘してもらわないと、なかなか発見しづらくなります。気付いたら、リリースしましょう。何もわざわざプライドにしなくても、私達は自然な状態でリリースできるのですから。