レスター博士は直観はいつも正しいと言いました。では、それを見分ける方法は?

セドナ本では、解放の手順を取ることを薦めています。解放し、弱くなり消えてしまえば、それは直観ではなく、明晰で強く感じられれば、直観です。

 別の方法もあります。

あるアイデアが、「できる」、「うまく行く」という感覚だけを伴っているのであれば直観です。ネガティブな感覚を少しでも含み、「できない」という感覚を含んでいるのであれば、直観ではありません。

感情のスケールを見てもらえば、ネガティブな感覚は表現は違えど「できない」という思いを含んでいることに気がつくと思います。「渇望」は強い欲求を表す言葉ではありますが、たとえ弱くても、渇望は渇望です。渇望がネガティブなのは、「行いたい」という欲求だけではなく、そこに、「でも…できない」というストップが含まれているからです。

「できない」が「できる」に変わると、ネガティブからポジティブな感覚へと移ります。その境界は、プライドと勇気のレベルです。プライドではしたくないという言い訳をしながら、心の中ではできないと思っています。勇気のレベルへ上がれば「できる」に代わります。

勇気以上の受容と平和には、「物事はそうなるべく展開していく」という感覚が含まれています。それは、とくに行動を起こさなくても、起きるべきことが起きるという感覚です。このレベルは、ネガティブを含んていませんから、当然、良い方向へ進んでいく、フローに乗っているという感覚でもあります。

あるアイディアが思い浮かんだのなら、解放の手順を取ると、明晰になるというのは、ネガティブな部分が取れるからです。ネガティブな思いや3欲求もしくは4欲求から来たものであれば、解放するにつれ弱まります。それをヘイル氏は説明しているわけです。