自分は別だというのも、リリースを妨げる一つの罠です。
あなたはリリースに関して、何かを読んでいます。
「プライドは他の感情を固定します。」ー「…でも、自分は別だ…」
「どんな感覚でも手放せるのです。」ー「…でも、自分の感覚は別だ…」
「どんな問題も、それに固執しているから、持続します。」ー「…でも、自分の状況は別だ…」
「最初に、欲求を捨て、幸福にならなくてはなりません。」ー「…でも、自分は別だ…」
このように、「自分は特別だから、一般的なことは当てはまらない」と、心の奥底で言い続けていては、リリースできるものも出来ません。
「自分は別だ」という抵抗
まず、これは抵抗です。あなたは何かをリリースしようとし、あなたの内側ではそれをリリースさせまいと抵抗しているのです。正直に自分の内側を直視すれば、そこに抵抗感を感じていることでしょう。しかし、大抵の場合、「抵抗など無い」と目を背けているのです。
「自分は別だ」というプライド
自分は特別なのだという、プライドでもあります。プライドは他の感情も固着させ、なかなかリリースさせません。ですから、自分は特別だというプライドを持っていると、リリースに関する法則にでさえ、自分は当てはまらないと否定、抵抗し続けることになり、その結果、リリースから効果を引き出すことはできません。
「自分は別だ」という承認欲求
この特別だという感覚は、承認欲求であることも多いのです。「他の人と違うことを認められたい」と思い続けており、意識的、無意識的に「他の人とは違う、不幸な人生」を選んでしまっています。もし、あなたの「特別な悪い状況」を他の人から、同情され、それでうれしさを感じたのであれば、まさにあなたはこの承認欲求を持っています。
「自分は別だ」という分離欲求
もちろん、自分は別であるというのは、全ての状態から自分を切り離す、分離欲求です。多分、分離欲求は余りにも根本的であるため、なかなか気づかないかもしれません。この制限を持ち続けることで、自分自身の本然である、幸福、自由、完全性、普遍、全知全能である常態から独立し、「自分」であるために制限を取り入れ、その結果、制限に苦しめられます。
「自分は別だ」をリリースする
もちろん、正直になり、「自分は別だ」という思考、感覚に気づけば、手放すことができます。手放せば大きなブレーキになっていたことに気がつくでしょう。
「…でも、自分は別だ…」
オッケイ。構いません。私はあなたをコントロールしようとは思いません。
つける薬はありません。だけど、心配しないでください。
心配しなくても自分の人生がちゃんと教えてくれます。運命にいたぶられ、人生に傷つき、多くの障害を抱え、あなたはやがて渋々認めることになります。それから、やっと「自分は別だ」という感覚を手放せるのです。
ですから、素直に認め今手放すか、十分に苦しんでから手放すかの差でしかありません。
十分に苦しむことを選ぶ人もいます。苦しむ人生を選ぶ人もいるのです。まだ、苦しみ足りないのです。本人の選択です。尊重しましょう。
ところで、あなたはどちらを選びますか?