意志と欲求を間違わないでください。
レスター博士とその弟子による、セドナメソッドやリリーステクニックで共通に言われていることですが、何故か理解されていないのが、意志と欲求は異なっているということです。
LLリリースの解説の中で、「右手を上げると言いながら、左手を上げる」デモを示しています。皆さん、やってみてください。簡単にできますよね。
このデモが示しているのは、意志と言葉は違うということですが、意志と欲求も似ています。右手を上げるのが欲求、左手を上げるのがあなたの意志です。
今回ははっきりと認識できる意志でしたが、無意識の中に隠れている意志もあります。
通常、私達は多くのこうした無意識化の意志によって動かされています。欲求はただの欲求です。こうであって欲しいという思いに過ぎません。意図は実際になる・するという意識です。欲求より、意志のほうが強いのです。ですから、何かを欲求してもそれとは逆の無意識の意志によって実現を妨げられます。
これは、良い悪いではありません。経験という制限です。これにより、良いことを願っても実現しないのと同様に、悪いことを考えてもそうそう現実化しないで済みます。「このくらいのことは起きるだろう」、「これくらいになると実際には起きないだろう」。こうした、制限を持っているのです。この制限内のことが自分に起きます。
段々とリリースが進むと、こうした経験による制限も薄れてきます。ですから、リリースを始めたら今までのネガティブな思考習慣も手放す必要があるわけです。悪いことを願うあまのじゃく的な部分を持ち続けて、リリースを進めてはいけません。これも習慣です。自分で気づき、リリースすることを決意し、あとはコントロールをしようとしなければ、自然と消え去っていきます。
欲求は自分の声、思いとして、心の中で「聞こえ」ますから、気づきやすいのです。本当の欲求は、無意識に沈んでしまっており、見つけるのが難しいのです。
そのため、意識して引っ張りあげる必要があるのです。レスター博士が原因となった思考を見つけ出せと言っているのは、実用的なのです。「これを引き起こしたのはどんな自分の考えなんだろう」と自問してください。
一度見つければ、ただの思考です。気づいてしまえば、自然と手放しているでしょう。「持っているのが馬鹿馬鹿しいから、自然と投げ捨てるだろう」というのも、レスター博士の言葉です。
欲求はそれと逆の現実から起きます。例えば、安全を願えば、自分は安全でないと自覚します。その現実への自覚の方が欲求よりパワーがあるため、自分で「安全でない」と自分の意識に刷り込むことになるのです。それと同時に、無意識の中にある「本当」の意志を呼び起こします。「本当」の意志が現実を起こしています。今、安全でないとしたら、自分でそうしているのです。安全を欲求することで、ますます無意識に危険になろうとするのです。
欲求を手放すのは、非常に効果が大きいのです。欲求を持つことで、悪い感情、出来事を引き寄せる引き金を弾き続けることになります。まずは、引き金から指を離しましょう。欲求をリリースしましょう。
純粋な意志は「こうなりたい」ではなく、「こうなる」です。それは言葉や映像であるかもしれませんし、そうしたものを含まない純粋な思いかもしれません。
レスター博士は、現実化には強い意志が必要だと主張していました。強い意志は持続する意志のことです。すぐに心を乱されたり、他の欲求に目を奪われることのない、連続している意志のことです。
現実的に応用するには、何かを意思し、それに逆行するような思いや現実は全て抵抗ですので、リリースしましょう。それに対する良い気持ち(愛着)、悪い気持ち(憎悪)もリリースします。そしてまた、意志を持ち続けるのです。「こうなりたい」ではありません。「こうなる」、「今、こうなんだ」という意志にそぐわないものは、全部リリースしましょう。