本当は「幸せ」な私達ですが、そう感じさせない「習慣」を持っているのです。
レスター博士によると、私達の本然は幸福そのものです。ところが、普段の私達は、それほど幸福には感じていません。
セドナメソッドでも、リリーステクニックでも、当サイトで紹介してるLLリリースでも、開放した後は、大抵の場合ちょっとした気分の向上があります。時には、遅れてくることも、気分は向上していないが他の何かが向上することもあります。ビッグヒットで「世界で一番幸せ」に感じることも起きます。
そのような本来の幸せが長く続かないのはなぜでしょう?
それは、私達が長い間抱え続けている習慣を、まだ手放していないからです。
一つの習慣は、「コンフォート・ゾーン」としてよく知られています。日本語では「快適領域」と訳されることが多いです。
頻繁に例に出されるのが、宝くじで高額当選を果たした人々の例です。彼らは、計画的に贅沢な生活を続けることができるはずなのに、無駄にお金を使ってしまい、結局生活前の状態に戻ってしまいます。
レスター博士はこれを魚売りの例を参照して何度も説明しました。ある魚売りの女性が、素晴らしい花畑を見つけ、眠ろうとします。良い匂いもしているし、すぐに眠れるだろうと思っていましたが、全然眠れないのです。結局、魚を入れているかごを枕にしました。そうしたら、すぐに眠れたのです。素晴らしい香りでなく、いつもの魚臭い匂いがないと眠れなかったのです。
人間は、自分にふさわしいと思っている環境があり、なかなかそこから出ることができません。いろいろ苦労し、幸福でなくても、その状態を保とうとします。本当は快適でなくても、その状態で入れば安心できるのです。その状態をコンフォート・ゾーンと言います。
これは、自分の心の状態でも同じ事です。人間の感情・感覚のレベルは一定の幅で上下します。すごく嬉しいとか、とても悲しいことがおきれば、この範囲から外れますが、日常生活ではこの範囲内にとどまろうとします。
リリースであなたの状態が向上しますが、そのウキウキ感があなたを不安にさせ、いつも通りの「さえない」状態に自ら戻ることで「安心」するのです。つまり、自分で気分を落とすことを選択しているのです。自分で選んでいるんですよ。
もうひとつは、「完全でないものとして、この世界を見る」という習慣です。コンフォート・ゾーンにも関係があります。
博士は「完全でないものの中に完全性を見なさい」とアドバイスしています。例えば、ある人の行いが正しくないと思える時は、「あの人は完全な存在なんだ。ただ、本当の幸せになる方法を知らないために、間違ったことを行なっているだけなんだ。」と思うようにレクチャーしています。また、病人の人と合う場合、その人はあなたに「いかに病気の状態なのか」を説明しようとするでしょうが、あなたはその人を単に「完全」な存在として、その人の完全性を見出すようにアドバイスしています。
私達は、現実世界を目にするとき、それに意味をつけてしまいます。ありのままを見ているのではなく、解釈を見ているのです。ありのままの音を聞くのではなく、意味を聞き取ります。そのため、思考を使うのです。
例えば、このサイトを見ているあなたのコンピューターのディスプレイを見てください。あなたは、それを「ディスプレイ」として認識します。すると、ディスプレイに関するあなたの記憶、それに結びついた感覚を思い出します。
中にはホコリが溜まっているのを見て、「汚い」と思い、その思考によって、気分をダウンさせた人もいるでしょう。もしくは、「自分が無精者である」と薄々感じ、「人間はきちんとしていなくてはならない」という自分の基準(これも思考です)を引っ張りだし、自分自信を責めているかもしれません。
もしくは、この文章を読み、嫌な気分をさせたことで、私を責めているかもしれません。でも、その気分を決めたのは、私ではなく、あなたなのです。
この文章は、ただの文章です。これに解釈をつけ、怒る人もいれば、嬉しがる人もいるでしょう。
それと同様、ディスプレイやあなたが現在いる部屋の状態は、物理世界の「状態」でしかありません。それに、解釈を付け加えているのは自分です。
良いとか悪いとか、きれいとか汚いとか、正しいとか間違っているとか、そうした判断を行うことはありません。悪いところを見て気分をダウンさせたり、逆に良い所に注目し、気分を上げるように強いることもありません。
元々の「幸福」な状態、もしくはそれに少しでも近づいたのなら、その気分をそのまま受け入れます。そして、あなたの外側にあると感じている物理世界の物事をそのまま完全なものとして受け入れます。そうすれば、自分の周りに起きたことで引きずり降ろされることは無くなります。
そのままハッピーでいることを選んでください。