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自転車に乗った哲学者

タグ: 私的解説
公開日:2012-03-19 02:00:23 修正日:2019-04-22 19:08:59

自転車に乗った哲学者とは、私のことです。 :D

自分の手法についてLLリリースに書いたので、紹介できるような、良いリリース法はないかなと、ネットで探し始めました。ハートロケットや頭のない方法は名前だけ知っていたので、どんなものであるか調べる良い機会かなと思いました。リンクを追っていくうちに、津留晃一の世界というサイトに行き着き、CDの内容が説明されている数ページをチェックした後で、「ああ、自分と同じような考え方をする人はいるんだなあ」と思いました。まあ、そのサイトの内容も、別の物と同じであると いう指摘がされていますから、根本はどこかで世界観がつながっているんでしょうね。

これもひとつの機会でしょうから、私の世界観を書いてみようかなと思いました。

5年に一度くらい、突然哲学的な疑問がふっと湧きでるんです。すると、しばらくその問題について考えます。

リリースを知る前、多分もう10年も昔のことです。まだ、東京に住んでいた頃の話です。

中原街道を五反田方面へ、自転車に乗り歩道をチンタラ走っていました。歩道は4メートルくらいの幅でしたし、午前10時くらいでしたので、歩行者も多くあり ません。いつもなら、もうちょっとスピード出しますが、春の暖かく天気が良い日だったので、ゆっくりと走っていたんです。人の歩く速度くらいでです。

そうしたら、突然哲学者モードになりました。疑問が一つ湧きでたんです。「人は何のために生きるのか?」

最初に思い出したのは、「生存」が根本にあるという考え方です。マズローにかかわらず、身体の生存が、一番の根本的な欲求であると考える人は多いですね。

そこで、疑問が出たのは「では何故、人間は自殺するのか」です。生存の欲求が根本にあるのであれば、自殺はありえないはずです。こう思ったのは、その日、テレビのニュースで自殺者の増加が伝えられたのを聞いたからでしょう。

5分くらい走っていて突然分かりました。「根本は生存の欲求ではない。幸福だ。」

それならば、自殺する理由もわかります。ある時、生きていても幸せでない、不幸だと考え、死んで人生を終わらせることと、このまま辛い人生を続けることを比較した時、どちらがより幸福なのかと考えれば、死んだほうがましだと思うでしょう。

実行するには、死の苦しみや恐怖のブロックも崩さなくてはなりませんが、とても不幸だと思っているなら、そうしたストッパーも崩れてしまうのは納得が行きました。

この一つの気づきで、嬉しくなりました。いつもなら、これで満足して、忘れてしまうところですが、更に疑問が湧いて来ました。

「幸福が、生きていく上での根本であるとしたら、なぜ人間には不幸な自体を選ぶ性質があるのか?」

確かに、私たちは幸福な道より、争いが起き、トラブルが多く、不幸になる選択をすることが多いように思えます。国や政府といった大きなグループであろうと、一人ひとりの個人であろうとです。

哲学とは違うのでしょうが、当時は人間の本質は全知全能とはいかなくても、かなり能力が高く、上手く引き出せば、世俗的な夢は何でもかなえられるくらいあるだろうとは、思っていました。

では何故、そこまで能力が高いはずの人間は、愚かな道を選ぶのか。考えました。

そこで思い出したのは、人間の生きる人生をゲームに例えることです。人間はゲーム無しでは退屈してしまい、それ故、ゲームの相手が必要であるという考え方を、過去にいくつか読んだ覚えがありました。

「すると、人間は退屈しないために、本来ストレートに行ける物事を、対戦相手や不確定要素を欲しがり、複雑にすることを望んでいるわけか。」

確かに、進化の過程で我々はより複雑な体の仕組みを持つようになり、社会も世の中の仕組みもどんどん複雑にしていきます。

「自ら望んで、複雑にし、その結果、制御できないほど、複雑にしてきたのか。そして、今度はコントロールできなくて苦しんでいるんだ。」これで一段落ついたのですが、今度は注意がいきなり宇宙へ飛びます。

「すると、諸説あるが、宇宙はビックバンで始まって、拡張しているように見える。すると、複雑さが増していくわけだ。」読んだことはありませんが、複雑さが増していくことについて書かれた書物があることだけは知っていました。

人間の物事を複雑にしていくという傾向と、宇宙が拡大し様々な事象が起きることは、何か共通の意図があるような感覚がありました。

では、ビックバンの前には何があったのかという疑問がわきました。

まずは物質です。古来から、光や音、物質は波長が異なっているだけで同じものであるという考え方は合ったようです。ビッグバンの前に、物質は存在していなくてはなりません。物質の始まりを考えるに、エネルギーの圧縮があったのかもと考えました。全く均衡に反対方向 からエネルギーが衝突すれば、行き先が無く、そこに物質が生まれたと考えました。ああ、厳密な物理学について考えているのでなく、単なる思考の遊びです。 トンデモ科学レベルでですよ。相対性理論ぽいですけどね。

次に、思考や思い、人間として言葉で考えているものではなく、もっと原始的な思考や思いとは、エネルギーと同じものでないかと考えました。

次に、細胞は分裂を繰り返して増えていきます。時計の針を逆回転させると、ひとつの細胞にもどって行きます。似たような考えで、この宇宙を考えた時、始まりはひとつの思いだけであったのではないかなと思い付きました。

も しそうであれば、その一番最初の思いは何であろうかと思考をめぐらします。直感で「存在する」かなと思いました。もちろん物質も空間も、エネルギーもなく、ですから時間さえ存在していなかったでしょう。でも、原始的な思いは「存在する」じゃないかなと、思ったんです。それ故、現在、人間の形をとっている我々の、本質は「存在する」という思いとして、ずっと継承されているのでないかと。

仮定ばかりですが、究極の真実など、誰も知りえないのですから、自分のために、この宇宙のモデルを考えてもいいんじゃないかと思いました。そこで、思考を整理するため、始まりから、順を追って構築してみようと思いました。

最初に一つの思考だけがあった。「存在している」

何かのきっかけで、2つに分離した。(このきっかけが、どうしても想像できません。)

2つに別れた時点で、全体では一つであるが、「私」と「他」という認識が生まれた。他とは自分では制御できない部分。これがゲームの始まり。

「存在している」だけの状態から比べれば、制御できない「他」があるのは、興味深く面白かった。そこで、更に分離していく。

するとゲームはもっと面白くなり、複雑になっていった。それ故、分離はどんどん進んでいった。

そのうち、ある思考と、全く逆の思考がぶつかり出す。思考は固着し、物質が出来る。

物質ができると、それを基に位置ができ、物質と物質の間に空間ができる。空間を物質が移動することで、時間の概念が出来上がった。(ビッグバン)

それ故、人間を始め「生き物」は「存在する」という思考を持つ。自分と他という意識はあるが、物質を含め全ては一つでもある。

生物が進化という名のもとに段々と複雑になっていったのも、人間が文明を発達させ、物事を段々と複雑にし、コントロールを失っていくのも、分離を始めた頃からの意図である。思考や感情のレベルでは、コントロールを失って苦しんでいるが、原始的な意識のレベルでは、そのゲームを楽しんでいる。

物理的、科学的な現象は、原始的な我々が同意したルールのこと。それ故、これらのルールを破るのは用意でない。しかし、それらは同意でしかないため、破られることもある。

生物が存在していようと、いまいと、この「宇宙」と呼ばれる思考全体は、物質世界の変化を楽しむ。ちょうど、子供がおもちゃをでたらめに動かし、楽しむように。

こうした、世界観のモデルを組み立て、「これは真実ではないけれど、面白いし、物質と精神の仕組みを納得できるので、気に入った。」と思ったわけです。

機会があると、これを思い出します。思考の遊びにすぎませんが、これを考えついたとき、ワクワクして楽しかったんですよ。

まあ、不思議体験でも、超自然現象でもありません。ただの、世迷言です。けれど、世界のモデルとして、今でも気に入っているんです。