リリースとは何でしょうか?このサイトをご覧になっている方は、ある程度の前知識をお持ちでしょう。簡単に復習しておきましょう。
私たちは本来、自由で幸福な存在です。
私は前世や生まれる前の記録は見たことがありません。しかし、目を開けるようになる前のことはうっすらと覚えています。それは、何故か泣いている自分の体の感覚です。人間の赤ん坊は何もできない状態で生まれてきますので、本能と言ってもいいのかも知れません。何か不快な事があると、自然に体が泣き出し、それを不思議だと認識しました。
次に覚えている認識は、泣くと誰かが助けてくれるという理解です。泣いていますがそれは今現在感じることの出来る悲しみの感情とは異なっています。「助けてください」というメッセージを本能的な体の仕組みで表現していただけです。
それ以外の時は、全てが興味深く、面白く、楽しいものでした。自分の手足を動かしたり、音が聞こえたり、何かが目に入ったり、すべては楽しかった覚えがあります。記憶と言うよりは、うっすらとした感覚です。
不快感、つまり現時点のネガティブがない限り、ただ幸福だったのです。
成長するにつれ、経験した感情や感覚、知識・理解といったもので、この幸福感は覆い被されていきます。ついには、本来自分が持っていた幸福な状態を感じられ無くなります。
リリースとは解放を表す英単語です。特別な専門用語ではありません。一般的な言葉です。心の改善に関して言うならば、ネガティブな心の部分を解放すること、自分に課せた制限を解き放つことです。
何も特別なことではありません。悲しみや怒りを感じていたのに、一晩寝たらすっきりして無くなっていたことは、誰でもあるでしょう。私たちは、自然とリリースしています。
子供の時代、私たちは様々な形で感情を感じるように成長していきます。そうした感情はそのまま表現することが多かったのです。表現すれば、通常その感情はリリースされます。
ですが、感情を表すことで、まわりの人々をコントロールできることに気づきだすと、自然とリリースされる感情や思いを握りしめ、離さないことを覚え始めます。そうして、段々と抱え込むことを覚えていきます。やがて、手放さない習慣を持つことになります。
もう少し成長すると、感情を表に出すことは必ずしも有利にならないことが、経験により理解されてきます。今までは、「あれが欲しいよ、エーン、エーン」と泣きじゃくれば、与えられるか、別の形で優しくされていました。あるときから「そんな事で泣くんじゃありません」、「いつまでも泣いているとお仕置きしますよ」と変わってきます。感情を抑えると「あら、我慢できるの。良い子ね。」と誉められます。感情を表すと罰を受け、抑えると賞賛されるようになります。そして、今度は感情を抑えこむ習慣を身につけるのです。
押さえ込んだ感情も、私たちの自然とリリースする能力に任せれば、自然と消えてなくなるはずです。しかし、苦しいにもかかわらず、こうした経験に基づく、様々な思考や判断により、私たちは 握り締めることを選択しています。例えば、こんなふうにです。「私が怒っているのはあいつのせいだ。私は正しい。間違っているのはあいつだ。だから当然私は怒る権利がある…」こうして、自分の正当性を保持する代償として、怒りに満ちた苦しい感覚を抱き続けます。
私たちは、持ち続ける意志を持っているから、抱え込み続けています。それは、意図、決定です。
レスター博士は、投げ捨てることを決意するだけで、思考も判断も習慣も、感情や欲求もリリースできると生徒に繰り返し語っていました。
私たちは、感覚を遠ざけたり、感情から離れたりする必要もありません。ただ、自分で抱え込むと決めた意志を、今度は緩め、キャンセルするだけでいいのです。
それは、「もう、握り締めない」、「放っておこう」、「コントロールは止めよう」、「自由にしてやろう」、「どうでもいいや」と決意することです。ただ、それだけです。
今、抱え込んでいるこうした感情や判断、思考、それに付随した感覚や映像、音などをリリースすればするほど、気分は軽くなります。そして、段々と幸せになっていきます。
リリースは自分本来の感覚を取り戻す方法です。それは幸せに感じることであり、制限を取り除き、より自由になることです。
難しくはありません。あなたが決めれば、可能なのです。
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