正しい・間違っているは、有利・不利、好き・嫌いと同様に、ペアで利用できる有効なプロセスです。

アイデアはわかっていたんです。これが重要であるということも。なぜか、私のどこかが避けていたのです。

ラリー氏のアバンダンスコースにもありました。プロセスを一つ紹介していますが、「正しいは愛着で、間違っているは憎悪である。だから手放すのだ」という説明です。扱いとしては2ページで、決して大きくありません。

本来、物事は中立的であり、意味はありません。それに意味を付け加えるのは自分のエゴなのです。

初心者向け情報に、したらば掲示板のセドナメソッドトピックスを追加しました。最近では珍しい良スレッドです。しかし、その中でも感情が渦巻いている投稿が多いですね。読んでいて、書き手からのプレッシャーを感じます。

真剣に悩んでいる書き手だけでなく、回答者からもプレッシャーを感じていました。そして、私自身が「回答したい」と思い、それで平安の状態ではなくなっていました。

今朝、リリースしているときに、この全般的な抵抗らしいプレッシャーをハンドルしていました。その中で、このトピックや、自分の回答したい気持ちを処理していた時に気づいたのです。

これらは、正しい・間違っているというプレッシャーなのでした。確かに私たちは正しいことに愛着して、間違っていることを憎みます。

そのため、間違っていることを見つけると、正しくしようとするのです。これは承認の欲求や、コントロールの欲求を生み出します。

そして、私たちは自分たちを正しいものとして捉えています。正しくなければ、生きている価値がないのです。正しさは、私達が所属しているグループの規律に基づいています。グループを作るのはより生存しやすくするためであり、そのもとには生存欲求があります。

正しい・間違っているを、ただの認識や思考であると捉えているため、リリースの手法では大きく取り扱われることは無いようです。確かに、手放し続ければ、いつかは解放することも可能です。

ですが、3つの欲求に結びついた、特別な思考であると考え、これをとらえてリリースするのは、大きな変化を起こすことができそうです。

良くされる質問は、こう言い換えられます。「私のやり方は正しい?」、「どこが間違っているの?」

よく行われる非難はこうです。「私の言っていることが正しい。」、「お前は間違っている。」、「私は正しい。けど結果が出なかった。だから手段(セドナメソッド)が間違っている。」

そして、回答者としての立場はこうです。「あなたより、私のほうがより正しい。だから、教えられるのだ。」、「無知は良くない、だから教えて上げる。」

そうですね。プライドもあります。自分は正しいというプライドが覆い隠し、それを認めさせないのかも知れません。そして更に固着させます。

もちろん、これは自分のサイトで、自分の考えを発信している私自身が持っているものであります。セミナーやCDコースを販売しているラリー氏やヘイル氏も 持っているかも知れません。レスター博士も持っていたかも知れません。(たとえば、セミナーのビデオを見てみるといつでもレスター博士はにこにこしている わけでありません。時には、相手の話にかぶせて自分の意見をいう事もありました。まあ、それは多分発言者が大間違いなことを長々と話したからなのでしょ う。)

もし、自分の正しさに固着し、それを証明しようとするならば、他の人、世の中の物事が逆に悪くならなくてはなりません。つまり、外界のネガティブを引き寄せることになりますね。

自分が正しく、相手も正しいと認めているなら、正しさを証明する必要ありません。逆に、自分の正しさを証明しようとしなければ、周りを悪にする必要もありません。引き寄せを当てはめるなら、悪いものを引き寄せる必要もありません。

いずれにせよ、かなり反応的な部分であることは間違いないようです。もし、何かにスタックしているようでしたら開放してみると良いか も知れません。好き・嫌い、有利・不利に加えて、ペアで行うプロセスのバリエーションとして、取り入れると良い結果が出せるかも知れません。(人によっては、好き・嫌いと有利・不利のプロセスでこの正しい・間違っているを意識的もしくは無意識的に取り扱っているかも知れません。)

「~の良い点は何だろう。」「悪い点は何だろう。」
 「~のどこが正しいのかな?」、「~のどこが間違っているのかな?」
 「~の正しさを認められるかな?」「~の間違いを認められるかな?」

「正しいというプライドを手放せますか?」

言い回しは工夫できます。直感に従って工夫してくださいね。

(もし、誰かの質問や悩みに答えてあげたい時は、投稿する前に開放しましょう。実際に、投稿するかは、次の質問が試金石になります。
「本当に、この人を助けてあげられるのかな?」
「本当に、この人を助けたいのかな?」
二つの質問に100%ハイと答えられないのなら、解放を続けるか、投稿は止めておきましょう。投稿しても、自分の自我を強くするだけです。)