日本語版:未翻訳

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この部分は前半が第3の方法、感情へ飛び込むことの説明になっており、最後の一段落は女性の体験になっています。

前半の感情へ飛び込むテクニックは解放の素晴らしい道具ですので、全訳してみたいと思います。


 

それでは、何かを手にとってください-鉛筆でも、ペンでも、小石でもかまいません-、それをどんどん拡大していくにつれ、何もない空間が現れるようになります。分子や原子の間に隙間が見えてくることでしょう。ある感覚のまさに中心核に飛び込むと、同じ現象を目の当たりにすることになります。そこには、本当に何もないのです。

解放の手順をマスターすると、深い感覚さえ表面的なものにすぎないことが理解できることでしょう。中心核のなかでは、あなたは空っぽで、静寂で、平和です。私たちのほとんどが、あるに違いないと思っている痛みも闇も存在していません。事実、私たちの抱えている最も過激な感覚さえ、シャボン玉のような物質にすぎません。シャボン玉に指をつっこんだら、何が起こるか、私たちは知っています。はじけてしまいます。まさしくこれが、あなたが感覚の中心核に飛び込んだときに起きることなのです。

実践するときには注意してください。他のことを行いながら、感覚に飛び込もうとするのはお勧めできません。時間を取り、自分自身に向け、内面に焦点を合わせることで、効果的に働くのです。強い感覚へ触れるときであっても、これが一番効果的なやりかたです。

例えば、このように体験することでしょう:あなたは、何か動揺するような報せを受け取ります。強い恐れや悲しみの感覚を感じ始めます。そこで数分、開放のために時間を取ります。腰掛けて、目を閉じ、できるだけリラックスします。それから以下のような質問を自分自身に向けて尋ねるのです:

この感覚の中心に何があるんだろう?(What is at the core of this feeling?)
この感覚の中心を意識することを自分にやらせてみる?(Could I allow myself to go in consciousness to the core of this feeling?)
この感覚に飛び込むことを、自分にやらせてみる?(Could I allow myself to dive into this feeling?)

そのうちに、このような質問のバリエーションを自分でも思いつくことでしょう。自分が感覚の中心核へと飛び込んでいくイメージを思い浮かべることもできますし、自分自身は単に中心核にある感覚にすぎないと感じてみることもできます。一度、深部へとスタートを切れば、様々な映像や感覚を経験することでしょう。また一時的な感情の高ぶりにも気づくことでしょう。それでも、自分自身に問いかけ続けます:「もうちょっと深くへいけるかな?(Could I go even deeper?)」自分自身をおだて、なだめ、すかし、どんな映像や感覚、もしくは自分自身がその感覚について語る物語をも乗り越えて、深く入っていきます。

これをねばり強く続けていると、中から何かがはじけ飛ぶ、もしくはそれ以上深くは入れないと感じる場所へ到着します。心が平穏で、平和に満ちた時、中心に到着したと分かるでしょう。

覚えておくべきことは、まだ何か強い感覚が残っているか、激しくなっているなら、まだ中心核には到達していないということです。平和の感覚以外を感じるなら、まだ表面にいるのです。これは、感覚に深く飛び込むことについて、以前にあなたが聞いたことのある内容とは、まったく異なっていることでしょう。我々の多くは感覚に飛び込むことを避けます。なぜなら、失ったり、悪化させたりするのを恐れているからです。しかしながら、表面を取り越し、本当の中心に自分自身を到達させれば、聞かされていた内容は真実からほど遠いものであったと発見することになるでしょう。私の生徒のマギーと同じように。


 

以降にマギーさんのケースが紹介されています。理論や技術的な部分ではないため、追補しません。

決まった言葉使いを使うよりは、自分自身にあった言葉を使った方が良いでしょう。あえて「自分にゆるせるか」なんて、まどろっこしい直訳にしていますが、日本語なら「できるかな?」、「してみよう」などの言い方のほうが自然です。このテクニックは実践していくうちに、書かれているとおり、決まった言い方を使うよりは、自分に合う質問・意識をコントロールする言葉を選ぶようになります。