ヘイル氏が第5の方法と名付けた、状態をレスター博士はどう定義づけたのでしょうか。
ヘイル氏は第5の方法をどちらかと言えば、「今、ここにある自分自身であれば、過去などに惑わされることも無く、自由である。」と、手放しとして定義づけています。手法で無いと言いつつも、それに達する質問を比較的多く、開発しています。
では、レスター博士はどう定義づけているのでしょうか?このサイトで翻訳している内容は、初期のレクチャーの内容ですが、比較的新しい時期に収録したと見られる動画があります。その内容で彼が最終的にまとめている内容をのぞいてみましょう。
そこに至る道として、自分をどう認識するかですが、
- 自分自身、存在性(beingness)
- 心
- 体と世界
と段階づけています。もちろん第5の方法は存在性です。
2,3の段階はエゴだそうです。
では、本当の自分自身、存在性の状態に達したことをどうやったら分かるのでしょう。博士は5つの状態を定義づけ、それを全部到達すると明言しています。
- 不動心(imperturbability)
- 無欲(desirelessness)
- 無努力(effortlessness)
- 無行動(actionlessness)
- 目撃(witnessing)
不動心はセドナ本の日本語版にも書かれています。博士は何が起きても動じない状況と語っています。例え殺されようとも、動じない。なぜなら、自分の存在性は永遠のものであるからです。
無欲では、全ての欲求を手放すように話しています。博士の6ステップとして書かれている部分、それをそのままやると言うことですね。
無努力とは、当サイトで翻訳した博士のレクチャーをお読みの方はご存じでしょう。努力とはエゴです。自分が存在性に近づけば、近づくほど、努力は無くなっていくそうです。
無行動もレクチャーをお読みの方はご存じですね。問題を解決するには、何かを行うことでは無く、解放することが重要だと指摘しています。例え、部屋の中に閉じこもっても、その問題を解放すれば、自然と解決される。ですから、問題を解決するために何かを行おうとせず、じっくりと座って、解放しろとアドバイスしていました。
この動画の中で博士は、不可能は例えどんな不可能であろうとも、不可能を解放した時にすぐに可能になると語っています。
また、心の中のイメージを切り替えるだけで、瞬間に物事は変化するとも、指摘しています。なぜなら、唯一、心だけが現実を創造しているからです。
目撃とは、存在性の状態に到達すれば、あとは人生で物事が起きるのをただ、眺めているだけになる。そう、指摘しています。
では、そのためにどうすれば良いのかというと:
-
- 考えが存在しなくなるまで、完全に心を静かにさせる
- 直感的でありなさい
- 心と体をあなたであると、認識してはいけない
愛着も嫌悪も持たなければ、全部を手にできると語っています。
- 自分自身を存在性として常に認識しなさい
- 「私、私」だけを維持しなさい
- 行動者(doer)であってはいけない
- 全ての幸福は自分自身から起きている
「私、私」とは純粋な「私」は存在性を表しているとのこと。過去のレクチャーの中で「私、私、私…」とだけ言い続ければ、気分が良くなると指摘しています。
全ての幸福は自分自身からきている、ですから、なにか良いことが起きて気分が向上しても、それはその起きたことからきているのでは無い。あくまでも、自分自身、その存在性からやってきていると指摘しています。
アドバイスとして他の人を自分として認識しろと話しています。なぜなら、存在性は同じですし、自分の経験は自分の心で創り出しているものだからです。自分が経験してる物語は、自作自演であるからです。
全ての現実は、自分の思考の累積したものです。存在性無くして、実際に存在している現実はありません。博士は物質的に理解してはいけない、主観的に捉えろと言っています。現実が自作自演であるのだから、その現実に完全に責任を取れと言っています。そのために、上記の認識が必要なわけです。