本来、数日間も使って、教えられる内容を、ぎゅっとまとめるのは無理があります。それを承知でまとめた物です。
概要
第5の方法は、特定のやり方でなく、今、ここに現れている物事に対する自然な問いかけです。
自分自身に強要せず、この瞬間、自分の直の経験として自分がなんなのか、調べてみよう。
真逆のやり方である、記憶に頼るとか、どういう風に経験すべきであるという考えではありません。
自分自身を調べると言うことは、テクニックではなく、単にあなたとして存在しすることです。
同様に分離して存在しているという幻想を見破り、直に見つめることでもあります。
本当に現時点に存在している物は?
- 本当に、今・ここにあるのは何だろう?
このシンプルな質問は、あなたを記憶、ラベルから遠ざけ、今・ここに実際にあるものに向かわせるように、作られています。ほとんどの時間、私たちは実際に今・ここにあるものでは無く、何だったのか、何であるべきか、私たちがそうであると信じている私たち自身の物語、問題だと考えているものに、多くの興味を持っています。
この質問を追求していく上で起こりえる別の事象は、概念・信念・記憶・ラベルに基づいた、あらゆる種類の返答を心や思考が返してくることです。これが起きたら、浮かび上がってくるものは全て歓迎し、もう一度尋ねましょう。
- 本当に、今・ここにあるのは何だろう?
- もしあなたが見抜けるとしたら、今・ここにあるのは何だろう?
心が答えを抱かなくなるまで、このような質問を繰り返します。一度これを終えたら、存在性として、もしくはこの瞬間によりはっきりと存在しているものとして、常にここに存在し続けていることをチェックします。
心が返答を止めたのに気づいたと言うことは、存在を表現する必要の無い、普遍的な存在になったと言うことです。更に、今起きている物事を経験する上で、分離した個人としての感覚が、存在しなくなっていることに気がつくことでしょう。
存在していますか?
リリースのセッションで最初、もしくは最後に、このシンプルな質問が使えます。
- いますか?
- 存在してますか?
質問の答えに、しばらく安らぎましょう。続いて尋ねます。
- それで十分であるとしませんか?
心がそれ以上、答えを必要とせず、ありのままの自分に安らぎを感じるまで、質問を繰り返します。
ケースごとのヒント
過去からの感覚や物語で自分の存在を見失ったとき、もしくは単に「私」の幻想を見抜きたい:
自分に尋ねてください。
- この瞬間、記憶に入り込まないとしたら、この「私」がその~だと、実際に認められるでしょうか?
もしくは、
- このストーリー、感覚は誰のものか?
もし間違った感覚を持っていなければ、誰も経験していない、何も提供されてはいない、何を経験しているのかの主権を主張する答えになるでしょう。そうであれば、その休息に身をゆだね、これ以上、質問は続けなくても良いでしょう。
もし、ポイントを間違え、認識しているなら、答えは「私のもの」になるでしょう。そうであれば、確かめてください。
- この瞬間、記憶に入り込まないとしたら、この「私」を実際に見つけられるか?
- この感覚やストーリーは実際全ての人のものではないか?
全てが一つである感覚が起きない時には、以下の質問を続けることができます。
- この瞬間に私がないならば、今まで自分という存在でなかったなんて言えるのかな?
- その存在として安らいでもいいかな?
あなたが、あなた自身として見つけ出した物は、変化するのでしょうか?:
変化する物は真実ではありません。
- 何か変化しないものはありますか?
- 今まで決して、変わらなかったのですか?
- あなたは変化する~なのですか?それとも、決して変化しない存在でしょうか?
ある習慣のパターンは意識上に上がってきて、「あなた」の注意を引こうしているように思える:
映像、感覚、音など浮かび上がったものを受け入れましょう。それらはばらばらのエネルギーを持ち、対立していて、渦巻いています。
以下の質問を試してください。
- それに固着している、それからわき上がってくる映像、音、感覚を受け入れられますか?
- それと一緒にわき上がってくる、またはそのものとして、全てのラベル、物語、判断、結論、概念を受け入れられますか?
- 取り除きたい、変えたり、理解したい、抱いていたい、実現したいなどを含んだ、この渦に関連した欲求を受け入れられますか?
- これが自分なんだという感覚、自分が誰なのかという感覚を全部歓迎できますか?
- これは自分に向けられたものであると信じている感覚の残りを全部、受け入れられるかな?
- このもの全体の真ん中、もしくはそれが空っぽであることを見つけられるかな?
- このことは本当に誰かに向けられたこと何だろうか?
- この渦全体を見抜けるなら、今ここには実際何があるのだろうか?
物語の中で、迷子になってしまった:
- あなたはその物語なのですか?
感覚に迷い込んでしまった:
- あなたはその感覚なのですか?
自分がなにか特定の感覚にとりつかれている、それを主張したい、証明したい、説明したい感覚に囚われているなら:
- あなたはその~なのですか?
全ての物と一体である感じが持てず、人間として、一個人として存在していると思えるなら:
自分が一個人で、物事の実行者であるという信念をお持ちですね。確かめてみましょう。
- ただ私が行ったのだろうか?それとも、それは起きたに過ぎないのだろうか?
- ただ私はそれを考えたのだろうか?それとも、考えが意識に浮かび上がったのに過ぎないのだろうか?
- ただ私はそれを選んだのだろうか?それとも、見かけ上の選択が起きたに過ぎないのだろうか?
- あなたはそれを経験しよう、考えようとしたのだろうか?それとも、それは起きただけなのだろうか?
人は他の人たちから別れている、分離していると信じているのですね。では、自分自身に確かめてみましょう。
- 意識が終わり、それが始まるところを見つけられますか?
- それが終わり、意識が始まるところを見つけられますか?
思考・感覚、経験が実際に誰かに固執している、もしくは関連しているという信念・習をお持ちですね。では真実であるか探求しましょう。
- それは誰か、何かに固執していますか?
- それは誰か、何かに本当に関連していますか?
- その感覚、思考、経験が関連していると思える人を見つけられますか?
自分自身、ありのままの自分を認識できたら、安らぎましょう:
- それとして安らいでみませんか?
もしくは、静寂の中でただ自分自身でいましょう。